第二朗読:一コリント8・7、9、13-15
福音:マルコ5・21-43、または5・21-24、35b-43
皆さん、おはようございます。
元気ですか?
今日の聖書の朗読内容は、体と心の健康についてです。
偶然ですが先週、私は北海道の神父たちの大会に参加しました。
場所は北広島のホテルです。
大きい温泉のあるホテルです。
何百人と入るでしょう。
食堂が大きくてサッカーのフィールドのサイズと同じです。
お客さんは大体中国人で、残りは日本人でした。
今回の会議は、神父とブラザーを合わせて35人いました。
月曜日の夜に勝谷司教様が始まりの言葉を言いました。
毎日ミサと朝の祈り、夕の祈りがあり、ミサは7時でした。
会議は午前中3時間、午後も3時間で、夕食の後の3時間はお酒を飲みながら、親睦会を行いました。
今年の会議の内容は「国籍を越えた神の国をめざして」、また、「虐待」「ハラスメント」について話し合いました。
これを理解するために、新しいカトリックセンターの方が説明をしました。
彼女はこの仕事の半分は仕事、もう半分はボランティアで行っているそうです。
私が初めて理解したことは、今北海道でブームな人々はベトナム人です。
彼らは大体がカトリック信者なので、彼らの霊的なニーズを満たすために、私たちは責任があるでしょう。
また、北海道の地区長が、自分の地域についてレポートを発表しました。
私がびっくりしたことは、道東、道北の地域では神父たちが重い仕事をしているそうです。
これからケンちゃん神父は文句を言いません。
最後の日は、大きいグループに分かれて、5人の小さいグループを作って司教様が依頼した質問を分かち合いました。
勝谷司教様はそのグループを周っていたので、緊張感が現れました。
多分一番興味があることは、来年からの神父たちの役割についての内容ですね。
道東、道北は地域が広いので、道央、道南から神父の派遣が必要です。
一つずつのグループの中で、教区の神父代表、福音宣教者の代表(メリノール会、ペリー会)、フランシスコ会神父とブラザーの代表がいました。
私が学んだことは、フランシスコ会の文化、スピリチュアリティー、生活の質(お金の使い方について)が違いますので、突然、私たち教区の神父達や福音宣教者達が入って働けば、神父と信者たちは少し難しいことがあるかもしれません。
私のグループの中では、教区の神父様が出した意見は、「私たち教区の神父の生活は、ずっと一人なので、これから共同体としての生活は難しい。」と言いました。
最後に一つずつグループから発表しました。
そして司教様はしっかり話を聞いて、来年の予定を深く考えます。
4日間一緒に生活をして、私たち35人の神父達が一致して、神様から頂いた召命を、来年までに一生懸命頑張りましょうと、お互いに感じました。
とてもいい経験でした。
皆さん、今日の福音の中でイエス様は二つの奇跡を行いました。
ひとつは12年の間、病気になった女性を治したことです。
もうひとつは12歳の若い女性の病気を治すことでした。
神学に関心がある人のために、この箇所の面白さを示したいと思います。
この二つの奇跡が同じ個所の中にあることは、聖マルコの福音者の「サンドウィッチ」の書き方と言います。
その方法で内容をより素晴らしく感じるようになります。
二つともイエス様の病気を治す力と死から回復する力を表していました。
私たち2018年、日本に住んでいる人々はこの箇所の素晴らしさを感じることができません。
感じるために、タイムマシーンに乗って、2000年前のイスラエルの人々の文化を感じる必要があります。
旧約聖書の時代から、共同体を守るために、病気になった人々は、共同体から追い出しました。
その理由が薬のない時代に、健康な人の命を守るためのものでした。
旧約聖書「ラビ記」の中でも、いくつかの健康についての決まりが書かれています。
もう皆さん、ベンーハー(1960年代)の映画を見たらこの雰囲気を感じることができます。
ハンセン病や、隠れた国民は町の外の離れた場所で生活しました。
もし病気の人に触れれば自分も同じ病気になることを心配しました。
しかしこの箇所の中で、イエス様は病気になりませんでした。
これは大切なことです。
この箇所が二つのことを表します。
イエス様がラビ記の中のルールより、もっと力のある人物です。
また、イエス様を触ることを通して、私たちは元気になります。
皆さん、私たちは色々な方法でイエス様を触ることができます。
ひとつはミサの御聖体を通して、また病者の秘跡を通して、そして祈りを通してイエス様の心を触ることができます。
イエス様は私たちを愛しますので、いつも私たちのそばに来て助けます。
それは病気の時も、死んだときもそうです。
どうぞ皆さん、元気な生活をいたしましょう。
それは体も魂です。
そして私たちはイエス様の親戚で、彼が私たちの中にいるので、私たちも病気になった人、亡くなった人もイエス様の愛を贈ることができます。
この尊い召命のために頑張りましょう。