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2019年4月7日日曜日

四旬節第5主日

第一朗読:イザヤ43・16-21
第二朗読:フィリピ3・8-14
福音:ヨハネ8・1-11


皆さん、おはようございます。
今週から受難の暫時(passion tide)が始まります。
その意味は、四旬節の最後の2週間という意味です。
イエス様の人生の暗い雰囲気を表しています。
この時期から福音の箇所の中で、イエス様の反対運動の背景を表します。
欧米では、この日曜日から、教会の中の御像をかぶします。
これはさみしいからです。
イエス様は最後の時、エルサレムの近くに行っています。
そして来週の日曜日、エルサレムの町へ入ります。
しかし、今日、説教を始めるために、嬉しいことを考えましょう。
それは、ローマのトレヴィの泉です。
皆さん、行ってみたことはありますか。
ローマの中で、1352個の泉がありますが、これは一番有名な泉だと思います。
とっても古い歴史があります。
紀元前19世紀から歴史が記されています。
ローマの外で、ローマ人たちは技術が高いので、ローマの町のための送水路を作り、ここは最後の場所でした。
この水は市民の飲み物であり、お風呂の水としても使われました。
この場所は今でも、3つの道が交わるところで、イタリア語で、「tre vie」と書き、意味は3つの道です。
この意味から、トレヴィの泉と名付けられました。
昔から、その場所に泉はありましたが、現代の最も美しい泉は1730年に教皇様クレメント12世が作りました。
昔からローマ人たちが神様から祝福をもらうために、お金を入れました。
そのときにローマ人たちは前からではなく、後ろを向いてお金を泉に投げました。
現代の観光客たちも、伝統的なもの従って、後ろを向いて泉にお金を入れています。
ローマへ戻りたい希望があれば1つのコインを入れます。
恋人を探す人は2回、コインを投げます。
結婚をしたい人は、3回コインを投げます。
毎日、たくさんのお金が泉に入るので、夜になると警察官が回収し、イタリアのカリタスに施しをします。
いいですね。
このトレヴィの泉は歴史的にとても有名なので、歴史的な人物もここに訪問して、自分の希望を願いました。
なぜ今日、私がトレヴィの泉の話をしたかというと、御復活の時期が近いからです。
考えてみると、クリスマスは喜びがいっぱい溢れる祭りで、神様の愛を感じます。
しかし、御復活は違います。
御復活の感情は喜びですが、深い意味は希望です。
なぜなら、イエス様の受難と命をささげたおかげで、私たちが悪魔の力から解放しました。
原罪の運命から解放されました。
今日の福音の内容がその重要なポイントを表します。
不倫をしていた女性がでてきましたが、まさか本当にファリサイ派の律法学者たちが、その女性よりイエス様殺そうとしていたとは思わなかったですよね。
そのために、悪意を持ってイエス様を試しました。
立法学者たちは、イエス様に、「彼女はモーゼの律法に反したので、石で殺しましょうか」と聞きました。
その時代は、ローマ帝国がイスラエルを支配していたので、ローマの死刑宣告は、ローマの国だけで決められていました。
そして彼女に、何もせず解放しましょうと言ったら、モーゼの律法に反してしまいます。
つまり、イエス様はジレンマに直面していました。
このジレンマを乗り越えるために、イエス様は有名な言葉を残しました。
「あなたたちの中で、罪をおかしたことのない人だけ、まず、この女に石を投げなさい。」という言葉です。
やはりみんなが罪人であることを感じて、みんなは彼女の立場を理解しました。
同時にイエス様は彼女の命を助けました。
年長者は一番初めに立ち去りました。
なぜなら、年長者は一番罪を犯しているからです。
皆さん、この箇所は本当に深い意味があります。
例えば、旧約聖書の中で、イスラエル国民は神様から心が遠くに行った時に、他の神を愛して今いました。
皆さんご存知のように、これはモーゼの十戒の3番目の掟に反することです。
ですからこの箇所は、聖書のまとめの箇所です。
なぜなら、人間は自分が罪人であることを認める様子を表しているからです。
そしてイエス様の精神を認めるところだからです。
イエス様の精神は、人々を、愛をもって許すことです。
旧約聖書の中で、今日の箇所の中で、似ている不思議なことがあります。
出エジプト31章18節で、神様が十戒を自分の指で書いて、モーゼに渡したそうです。
そして、今日の箇所で(8章6節)、イエス様も地面に指で書きました。
この内容は私たちはわかりませんが、旧約聖書の内容と比較して考えると、きっと、お互いを愛しなさい、と書いたと思います。
やはり皆さん、イエス様と私たちの関係は、愛の関係でしょう。
聖書はいつも美しいハッピーエンドですね。
愛の物語です。
その通りにカトリック円山教会で今日、とてもハッピーなことを行います。
私は美しいイタリア女性に堅信秘跡を授けます。
イタリア語で、彼女の名前は、bella dona (美しい女性)という意味です。
顔だけではなく、彼女の心も美しいです。
9月にイタリアで日本の男性と結婚式があるので、私から堅信教育を学んでいきました。
私にとって、とても楽しいイベントです。
そのためにトレヴィの泉の話を入れました。
私にとってトレヴィの泉の水は、洗礼の水に似ています。
洗礼の水は、私たちの命に希望を与えます。
どうぞ皆さん、今日のミサをしながら、彼女の将来の幸せのために祈りましょう。

2019年3月17日日曜日

四旬節第2主日

第一朗読:創世記15・5-12、17-18
第二朗読:フィリピ3・17~4・1 または3・20~4・1
福音:ルカ9・28b-36


みなさん、おはようございます。
みなさん、見ることはいいことですか、悪いことですか。
私は大学院に入ってから目が悪くなり、初めて眼鏡を使いました。
だんだん、目が悪くなるので、毎年の今頃、眼鏡のチェックをして、必要であれば新しい眼鏡を買います。
先生方は良く見えることを求めます。
でも時々、私は見ているものを間違います。
最近、遅い飛行機に乗って東京に到着して、メリノール本部へ行くために浜松町からタクシーに乗りました。
荷物がたくさんあったからです。
そしてタクシー運転手を後ろからみると、ポニーテールをしており、私は女性だと思い、「女性の運転手は珍しいですね。」と言いました。
すると、「私は女性ではありません。」と言われました。
これは私の失敗談です。
そのとき私は日本語で、「そうですね。すみません。」と言いました。
今日の福音を読んで、この出来事を思い出しました。
なぜなら、弟子達はイエス様が新しくみえたからです。
弟子達はイエス様と長い間一緒に過ごしましたが、初めてイエス様の存在を深く理解しました。
私たちも毎年、四旬節の目的は、神様、自分、周囲の人々がよく見える(理解する)ために、祈り、断食、施しをします。
四旬節の時間を有意義に使うために、2つの方法があります。
1つは奪取です。
もう1つは成長する方法です。
カトリック教会は、本当に成長する方法を選びます。
そのために今日の変容の福音の箇所を、四旬節の第2日曜日に入れました。
少し重い話ですが、私たち大人信者たちは、イエス様と同じように死の運命に向かいながらも、彼と同じように希望も持つことができる人生を送れるはずです。
みなさん、シェイクスピアのAs You Like It(お気に召すまま)という劇の内容を知っていますか。
その中で、ジャックという人が人生の7つ段階について独白しました。
たぶん皆さん、彼の言ったことを聞いたことがあると思います。
「世界はステージで私たちは役者である」と言いました。
この言葉の意味は、命に自由はなく、私たちは操り人形であるということです。
その精神から解放するために、今日、福音の中でイエス様は明るい未来について予言しました。
もちろん、希望的な将来は御復活です。
私たちはイエス様と同じように、希望ある将来に招かれています。
シェイクスピアはおもしろいときに生まれました。
彼は若い時に王様がカトリック教会の教皇様と離婚できないことに反対しました。
そのためイギリスの教会が生まれました。
それがプロテスタント教会です。
しかしシェイクスピアの家族はカトリック信者でしたので、彼の劇を通してカトリックの価値観を象徴しました。
例えば、基本的な価値観は、人間性は善いことで、恵みを通して人間性を磨くことをですが。
しかし、あるプロテスタント教会はそれに対して懐疑的です。
皆さん、私たちが残りの四旬節を使って自分の命を磨くためにも頑張りましょう。
イエス様とマリア様の人生を振り返ると、希望の将来があることがわかります。
怖いことはありません。
この人生に対する態度を福音宣教のために現わしましょう。

2019年2月3日日曜日

年間第4主日

第一朗読:エレミア1・4-5、17-19
第二朗読:一コリント12・31~13・13、または13・4-13
福音:ルカ4・21-30


皆さん、おはようございます。
突然札幌は寒くなりましたが、皆さん大丈夫ですか?
今の寒さは札幌の雪まつりのためにはいいと思いますが、人間にとっては大変ですね。
今日は、私は少し疲れています。
金曜日東京から帰りました。
大変な仕事をしました。
私たちメリノール宣教会の本部を売ってしまいました。
木曜日の朝、私とメリノール宣教会の財務課の部長がニューヨークからきて、銀行に行きました。
それは皇居の近くの場所です。
雰囲気は教会のベッドに似ていました。
銀行員も13人参加して、私たちメリノール会の弁護士と不動産会社代表、また上智大学の代表が二人参加しました。
最初に挨拶があって、20分くらい名刺の交換のために使いました。
持っている名刺を全部使いました。
その後で、契約の条件を確認してから、私がメリノール宣教会のハンコを押しました。
そして、玄関のドアのカギを渡しました。
その後、上智大学の代表が自分の銀行に電話をしてお金を送るように連絡しました。
そして、皆で待ちました。
20分くらいかかりました。
私たちの銀行はスイスにあります。
到着してから、皆お互いに挨拶をして、この中の5人くらいで、日本的な食事をしました。
それが終わり、私は日本のメリノールメンバー達に連絡をしました。
誰もありがとうという言葉はありませんでした。
この本部は80年、私たちの日本のホームとしていました。
皆、寂しい気持ちです。
私が日本の管区長なので、この難しい作業をしなくてはなりませんでした。
しかし、あまりメンバー達から感謝されない仕事でした。
この利益はアメリカの病気の神父たちの医療ケアのために使います。
その体験から、今日の福音の中のイエス様の気持ちを少し理解します。
イエス様も人類を助けるために愛の革命を始めたいですが、人々の心はかたく、彼の考え方を受け入れませんでした。
イエス様の寂しい気持ちをもっと深く理解するために、今日の朗読のスケジュールで、エレミア書から表されます。
エレミアとイエス様はとても似ている人物の物語です。
エレミアもバビロンの捕囚のところで、エルサレムの市民の心を強めるために、神様を勇気付ける言葉を伝えましたが、断りました。
何回も周りの人々が彼の悪口を言いました。
聖書に書いてはいませんが、教会の伝統として、彼の敵たちが彼をエジプトに連れて、その場所で、石をぶつけられる方法で殉教されたそうです。
イエス様もエレミアと同じような結果になりました。
彼が神様の真理を伝えるために頑張りましたが、そのようにはなりませんでした。
偶然ですが、昨日の土曜日は主の奉献の祝日でした。
昨日の福音の中で、赤ちゃんイエス様が神殿の中で、熱心な信者、シモンをあらわして、マリア様にイエス様の未来について不思議な言葉を言いました。
「また、彼が反対を受けるしるしとして定められています。」です。
その言葉はイエス様の神様から任された召命だと思います。
イエス様もエレミアと同じように感謝されない人生を送りました
皆さん、2月に入りました。
2月は愛の月です。
2月の中で私たち信者たちが愛の意味について黙想するべきです。
11日にマリア様の美しいルルドの祝日もありますし、そして日本カトリック教会の勇気いっぱいの祖先たちの祝日は2月にあります。
まずユスト高山右近は500年前の2月初めにフィリピンで病気として、殉教されました。
そして、今週5日に私たちカトリック円山教会の守護の聖人たち、日本二十六聖人殉教者の祝日もあります。
考えると、この素晴らしい日本信者たちはエレミアとイエス様と同じように神様の教えを伝えるために命を落としました。
皆さん、2月の中にバレンタインの祝日がありますね。
それは、社会的なイベントになりましたが、本当に聖バレンタインもローマ帝国の時代の殉教者でした。
この沢山の2月に殉教された人物から学んだことは、本当の愛は自分から自由に与える業です。
それはもっともっと感謝をされていないことです。
前にアクィネスの4つの愛の分類を話しましたね。
夫婦の愛、家族の愛、友人の愛、隣人の愛があります。
最初の3つは愛を受け取ることが多いです。
しかし、隣人の愛は違います。
隣人の愛は与えることが多いです。
この愛はエレミア、イエス様、ユスト高山右近、日本二十六の殉教者たちのタイプです。
私たちは彼らの模範から、自分の心を開きます。
ですから、愛は心のかぎに似ていると思います。
どうぞ皆さん、イエス様の犠牲に感謝の気持ちを表すために、第二朗読の聖パウロの愛の説教を実践いたしましょう。
毎日愛を通して生活いたしましょう。
私たちの愛の業が感謝されていないかもしれませんが、善行は神様に感謝にすることを信じてイエス様の愛の革命を結び付けましょう。
Let’s heal the world with our love!
皆さん、この愛のテーマを続けるためにミサが終わってから初めて喉を祝福します。
今日は聖ブラシウスの祝日です。
彼は喉を病気から守る守護の聖人です。
彼は医者の才能を持っていた4世紀の司教でした。
彼は喉の病気から奇跡をおこないましたので、今日欧米では教会に喉を祝福します。
喉から私たちの声が出てきますので、この祝福を貰いながら嘘ではなく、真理的な言葉と優しい言葉をお互いに伝えるように祈りましょう。
言葉も愛の業ですので、お互いにこころの傷を与えられないために、この祝福を受け取りましょう。
また、今日本ではインフルエンザが広がっているので健康を守るためによい祝福です。
どうぞ、希望者の信者はミサが終わってから祭壇に向かってください。

2018年12月16日日曜日

待降節第3主日

第一朗読:ゼファニヤ3・14-17
第二朗読:フィリピ4・4-7
福音:ルカ3・10-18


皆さん、おはようございます。
10日後にクリスマスです。よかったね。楽しみです。
今年の典礼年はC年なので、待降節のために洗礼者ヨハネが出てきます。
彼は、私たちをイエス様の弟子としたいです。
この話を読んで私が子供の頃に好きだった話の「ピノキオ」を思い出しました。
日本でも人気な子どもの物語ですね。
イタリア人たちはクリスマスの時に、ピノキオの人形でクリスマスツリーをよく飾ります。
ピノキオは造られてから、いたずらっ子になりました。
ジミニー・クリケットに出会ってから、指導者として彼に良い子として導きました。
そしてある日、愛の霊を通して、本当の人間の男の子になりました。
美しい物語ですね。
考えると洗礼者ヨハネが私たちの為に、ジミニー・クリケットと同じ役割です。
正しい生活に導くために、色々なアドバイスをくれます。
この箇所の楽しいところは、洗礼者ヨハネが集団と仕事によって別々のアドバイスを言いました。
やはり集団に対しての役割とジレンマが違います。
クリスマスの時に私たちは幼子イエス様の誕生日を祝います。
かわいい赤ちゃんですね。
しかし、洗礼者ヨハネの場合は、大人のイエス様を紹介する役割でした。
彼にとってイエス様は神様の息子メシアです。
ですから洗礼者ヨハネは謙遜的な言葉をイエス様について使います。
そのために、洗礼者ヨハネが私たち信者になるための基準は高いです。
イエス様の言葉は「自分がしてもらいたいように、相手にしなさい。」です。
しかし、洗礼者聖ヨハネは、少し違いました。もっと高い基準を望みました。
それは、「神様があなたにしてもらいたいように、あなたも他の人々にしなさい。」です。
素敵な言葉ですね。
洗礼者ヨハネにとって、神様の一番高い価値観は愛です。
私たちは愛の業を行う時に神様の姿を見習います。
もちろん神様の愛の姿は、人間を平等に提供することです。
それは身体的なニーズだけではなく、心的なニーズも含んでいます。
今年のクリスマス、アメリカのカトリック教会は、アメリカへの移民者たちを支援するために、面白い運動をおこなっています。
普通アメリカ人はクリスマスの時に、家族と友人でクリスマスプレゼントを交換します。
しかし、アメリカ司教団は、移民者たちの生活をサポートするために、プレゼントのカタログを作りました。
例えば、カタログの中で、食べもの、飲みもの、テント、服、ランタン、ストーブなどのニーズのリストアップがあります。
そして、それを買ったら、アメリカのカリタスが、今メキシコの移民者たちに与えます。
この移民者のためのプレゼントを用意すると、証明書がもらえて、自分の家族に配ることができます。
すごく良い考えですね。
今、この暗い雰囲気の中で、実践的な運動でしょう。
しかし、イエス様のクリスマスは、もっとも私たちの心のニーズを満たすために生まれました。
それは人間の希望、喜び、愛の価値観です。
暗い社会の雰囲気の中で、希望、喜び、愛が食べ物と同じように大切です。
希望、喜び、愛はお金ではなく、優しい言葉と、態度、表情、また祈りを通して、周りの人々に配ります。
皆さん、神様が私たちをピノキオのお父さん、ゼペットと同じように創造しました。
そして、洗礼と堅信の秘跡によって私たちはカトリック信者として生きるようになりました。
私たちが現代の暗闇に迷った人々を、私たちのイエス様への信仰の光を通して、照らしましょう。

2018年11月18日日曜日

年間第33主日

第一朗読:ダニエル12・1-3
第二朗読:ヘブライ10・11-14、18
福音:マルコ13・24-32


皆さんおはようございます。
今日は私たちカトリック円山教会はとても嬉しい日です。
なぜなら今日、4人の子どもたちが初聖体の秘跡をいただきます。
おめでとうございます。
長い間、私と教会学校の先生と一生懸命勉強しました。
頑張りましたね。
そして昨日、心を清めるために、赦しの秘跡を受けました。
ですから、今日皆さんは王子と王女のように輝いています。
本当に美しいですね。
あとでいっぱい写真をとることになりますね。
プレゼントももらえるでしょう。よかったね。
今日はとてもハッピーな気持ちでしょう。
そして参加される、ご両親、ご親戚、カトリック円山教会の信者の皆さんも、誇りを感じることでしょう。
本当に今日は皆さんの命の中で一番嬉しい日です。
皆さんもこれから学校で世界の歴史を勉強すると思いますが、約200年前にフランスで有名な皇帝ナポレオンがいました。
彼は熱心なカトリック信者でした。
当時の世界では有名でした。
しかし、彼は自分にとって、一番大切な出来事は「初聖体」だったと本に書きました。
なぜ初聖体は、嬉しい出来事でしょうか?
なぜなら、初聖体はイエス様を自分の中に迎えることです。
御聖体を通して、イエス様が私たちの心の中に入ります。
本当に御聖体は他の食べ物と比べて、香りと味は少なく、神秘的な食べ物です。
しかしイエス様が約束しました。
「このパンを食べる人は私と共になることだけではなく、私のお父さんも共になる。」と言われました。
素晴らしいことですね。
私たちカトリック信者は、ふたつの部分があります。
体と魂です。
魂は難しい言葉ですが、心を意味しています。
魂を通して私たちは愛します。
皆さんが元気になるために、お母さんたちが美味しいご飯を作りますね。
それと同じように、ミサの中でイエス様が皆さんの魂(心)を元気にするために御聖体を作ります。
ちょっと難しい英語ですが、御聖体はスピリチュアルな食べ物と言われています。
スピリチュアルという意味は、目に見えないことです。
今日から初聖体を受けた皆さんは、教会の中の役割が変わります。
今まで楽しく優しい子どもとしてミサに参加しましたが、これからはイエス様と一緒にいるので、イエス様と同じように、色々なことを乗り越えることになります。
例えば、朗読をしたり、侍者の役割をしたりします。
頑張って下さいね。
そして、教会だけではなくて、これから御聖体を頂いてからは、イエス様がともにいるので、皆さんの家の中での生活、学校での生活の行動を良くしていきましょう。
大昔、マリア様も自分の身体の中にイエス様がいたので、彼女も素晴らしい人間になりました。
今日は皆さんもマリア様と同じようになります。
皆さんと優しい言葉と行いを通して、周りの人々があなたの中にいるイエス様がわかるでしょう。
なぜなら、愛がいっぱい溢れますから。
これから頑張って下さいね。
皆さん学校に行くことで一番嬉しいことはなんですか?
そのひとつは、友達に会うことでしょう。
それと教会に行くことは同じです。
イエス様は皆さんの友達です。
御聖体を通して友達のイエス様に会うことができます。
できれば毎週日曜日にイエス様に会って、御聖体をいただきましょう。
最後に今日初聖体を受けた子供たちの御両親に一言、言いたいと思います。
長い間子供たちの初聖体の勉強に参加して下さりありがとうございます。
昨日の赦しの秘跡と今日の初聖体の秘跡を通して、皆さんの子供たちは霊的な生活に成長します。
素晴らしい成長です。
もちろん、今まで彼らの成長は皆さんの模範とミサに来る習慣があったからです。
カトリック信者の信仰を成長するためには実践が必要です。
そのために私たちの愛する子供たちに、いつも愛を通して言葉と行いを示しましょう。

2018年11月11日日曜日

年間第32主日

第一朗読:列王記17・10-16
第二朗読:ヘブライ9・24-28
福音:マルコ12・38-44、または12・41-44


皆さん、おはようございます。
先週アメリカでは選挙がありました。
トランプ大統領が自分のイメージを高めるために、色々な教会の礼拝に参加しました。
しかし、スピーチの時、貧しい移民の人に悪いことをしたり、トランプ大統領を反対している人たちに悪口を言いました。
本当に教会で礼拝に参加したことはイメージを良くしましたが、本当の心は教会の価値観とは遠いと思います。
彼は神秘的です。
私はアメリカ人ですが、恥ずかしいです。
今日の福音の中で、同じような状態を表しています。
イエス様の時代の当時の偉いユダヤ教のリーダーたちが、自分のイメージを高めるために、素晴らしい服を着て、祈る場所では一番前の席に座り、祈りを長くしたりします。
しかし、彼らは本当に貧しい人々には手を貸しません。
イエス様は彼らをウソと言っています。
皆さん、現代の私たちの社会も同じ雰囲気ですね。
人々はブランドを好んで着たり、素敵な車でドライブしたりしますね。
このことを考えると、教皇様がフランシスコになった時、教皇様のための素晴らしいバチカンのアパートと素敵な車を準備していましたが、彼は断りました。
代わりに他のメンバーと一緒に生活をして、アメリカの小さな車で十分と言いました。
今でも教皇様はその通りに生活しています。
私たちへの模範をあらわしています。
もう一人の模範はマザー・テレサです。
皆さんご存知のように、彼女はノーベル賞をもらいました。
そのパーティーの時、有名な人々が立派な服を着て集まりましたが、マザー・テレサは日々の修道院の服とボロボロのサンダル、古いカーディガンを着てスピーチしました。
イエス様の時代だけではなく、今の時代も、見かけだけではありません。
今日の福音の目的は、神様の栄光を表すために、一番大切な行いを教えています。
そのためにイエス様は貧しい未亡人の重点を言っています。
彼女は二つのコインだけ募金しましたが、それが彼女のすべてのお金でした。
この行いが、彼女と神様への信頼関係を示します。
やはり彼女は、神様が自分のニーズを満たしてくれると信じています。
その未亡人はイエス様の模範と同じです。
イエス様が神様の召命のために、毎日自分の時間とエネルギーをささげました。
そして皆さんがご存知のように、神様の救い主の召命のために最後には命をささげました。
毎回ミサを行う時に、そのイエス様の犠牲を思い出します。
本当にイエス様は私たちの模範です。
どうですか?皆さん、神様のために何ができるでしょうか?
もちろん教会のミサに参加することが、神様への感謝の行いです。
また、周りの人々のニーズを満たすことも、神様への感謝の行いです。
そして、自分の身体と心をケアすることも、神様への感謝の行いです。
その未亡人とイエス様の模範を見習って、人生を神様に捧げられるように、日々生活いたしましょう。

2018年11月4日日曜日

年間第31主日

第一朗読:申命記6・2-6
第二朗読:ヘブライ7・23-28
福音:マルコ12・28b-34

皆さん、おはようございます。
11月に入って、札幌では葉が落ちて、秋の雰囲気ですね。
そして、冬のために木の枝を切ったり、準備をしています。
この時期に毎年死者のミサを行います。
日本の文化では、お盆に亡くなった家族のことを祈りますが、欧米の文化は、11月の中で、亡くなった人々のために祈ります。
この歴史はイエス様が生まれる150年前から記録されています。
マカバイ記二、12章42-46節に戦争で亡くなった軍人たちが天国へ行けるように祈る内容が書いてあります。
これ以外にもゼカリア書、シラク書、マタイによる福音の中でも同じように、亡くなった人々が天国へ行けるように祈りましょうと書いてあります。
西暦998年11月2日、フランスのクリューニーの修道院の中の修道者、聖オディロが亡くなった人々のために、その特別な日を発表しました。
1か月間亡くなった人々のために祈っていたそうです。
亡くなった家族が、紙に名前を書き、祭壇に置いていたそうです。
14世紀から教皇様が、この大切な祈りの日を認めて、全カトリック教会に発表しました。
前の日、諸聖人の祝日ですが、2日は天国に無事到着していない家族のために、魂を清めて魂を無事に天国に送るための祈願の日です。
15世紀の宗教革命者ルターは、この考え方を断りました。
そして、自分の聖書を翻訳したときに、死者のために祈りを求める聖書の本を入れませんでした。
その理由は、ルターは煉獄を信じていなかったからです。
煉獄は聖書に書いてはいませんが、1コリント15章に、聖パウロが煉獄について暗に意味したそうです。
カトリック教会のカテキズム2447番、慈善のわざに身体的・精神的に困っている人を助ける信者の義務について書いてありますが、その中で、亡くなった人々の事も含みます。
その通り、金曜日に教皇フランシスコ様が、ローマの一番大きなフラミンゴ墓地を訪問して、お墓を祝福しながら祈りました。
それが終わって、バチカンに戻って、同じように地下にある亡くなった教皇様達のお墓を祝福し、祈ったそうです。
その時の教皇様のメッセージの重要なポイントは「今日の祝日は私たちの心に寂しさを感じますが、希望もあります。」です。
教皇様は続けて、「私たちの献花のお花は、私たちの希望の気持ちを表します。イエス様の十字架の苦しみと御復活によって、希望のドアを開いてくださったからです。」と言いました。
私たちのイエス様による信仰によって、愛された仲間たち、家族と私たちも、将来、御復活すると信じています。
それは私たちの希望です。
今日の朗読は年間第三十一主日のものです。
今日の日曜日の福音は、私たちカトリック信者たちの一番大切な掟についてです。
もちろん、その掟の内容は愛です。
神様への愛、自分のための愛、周りの人々への愛です。
愛を示すためにいっぱいの方法があります。
その中で、私たちカトリック信者にとって、神様と自分のためと周りの人々のために祈ることは最も大切です。
私の洗礼名の祝日にも、カトリック円山教会の信者達が、親切に私への優しい祈りのプレゼントをくださいました。
今日の死者の日はその通りです。
私たちより先に亡くなった仲間と家族へ、深い愛の気持ちを示すために祈ります。
やはり聖パウロの有名なことわざ通りに、「愛は決して滅びない。」と言われています。
亡くなった仲間と家族は、いなくなることではなく、神様の家で眠りながら私たちのために待っています。
死を通して、人間関係は壊れるわけではありません。
彼らの愛も天国からずっと頂いて、私たちも無事に天国に到着できるように導きます。
私たちの命は神様からの大切な贈り物です。
今の命も次の命もそうです。

今日、先に亡くなった仲間と家族のために祈りながら、同時に神様にも命への感謝を致しましょう。

2018年10月7日日曜日

年間第27主日

第一朗読:創世記2・18-24
第二朗読:ヘブライ2・9-11
福音:マルコ10・2-16、または10・2-12


皆さん、おはようございます。
皆さんご存知のように、10月はカトリック教会の中で、ロザリオの月です。
偶然ですが、今日はロザリオの聖母様の祝日です。
なぜ、ロザリオの月は10月でしょうか?
ファイナルアンサーは、1571年10月7日にギリシャのレバントで、教皇様の軍人たちがイスラム教との戦争に勝ちました。
そのために、初めてこの祝日は勝利の聖母様の祝日と言われました。
なぜなら、この戦争の勝利のために全ヨーロッパの信者達が、ロザリオの祈りをしていたからです。
その大切な勝利忘れないように、教皇様がこれからの全てのチャレンジを乗り越えるために、信者たちの祈りの生活を高めるために、名前をロザリオの聖母様の祝日に変更しました。
考えると、戦争に勝つために、麦は祈りでした。
祈りを通して人々の心の悪魔を追い出します。
私たちカトリック信者にとって、1つずつのチャレンジを乗り越えるために、信仰の力を使います。
私たちの信仰の力を強めるために、マリア様がロザリオの祈りを教えました。
マリア様の力の源はイエス様への愛です。
ですから、私たちは彼女に祈る時、ちょうどマリア様の信仰と合わせて、頑張ります。
マリア様も自分の命の中で、沢山の大変なことを乗り越えました。
マリア様は結婚前に妊娠をして差別を沢山受けることになりました。
イエス様が生まれた時、当時の王様がイエス様を探すためエジプトに逃げることになりました。
イエス様がまだ若い時に養父の聖ヨセフが亡くなりました。
そして、イエス様はまだ若い段階で、ピラトを通して十字架上で、苦しみを受けました。
マリア様はそのすべての目撃者でした。
マリア様の心に神様への信仰と、全ての人間の為の愛をたくさん持っていましたので、頑張る力になりました。
私たちもロザリオの祈りをする時に、マリア様の模範を考えながら、心に同じ信仰と愛を表します。
素晴らしい祈りです。
今日の朗読と福音は、家族と夫婦の愛についてです。
私個人のロザリオを学んだ理由は、ひどい嵐の怖さを乗り越えるために、家族が居間の中に集まって、マリア様の像の前で、ロザリオの祈りをしました。
なんとかその祈りを通して、心配なくベッドに戻って寝ることが出来ました。
お母さんが言いました。「マリア様が皆を守ってくれるので心配しないでください。」
私たち7人の子どもたちは「はい、お母さん、おやすみなさい。」と納得しました。
私たちのお母さんが亡くなった時、財産で一番欲しかったものは、そのマリア様の像でした。
今、私たちの家族がこの像をローテーションで回しているそうです。
もちろん私たち日本に住んでいる信者達が、自然災害が沢山あることも怖いですが、もっとも怖いことは、悪魔の誘惑です。
乗り越えるために、ロザリオを武器として助けます。
10月3日から28日まで、教皇様フランシスコが、若い人々の問題を調査するために、教会のリーダー達を教会会議でローマに呼びました。
私たちの勝谷司教様もローマに行きました。
彼のために素晴らしい体験だと思います。
やはり教皇様がイエス様の弟子として、家族と夫婦の幸せの為に心配しています。
教皇様が、マリア様の模範に見習って、若者たちが誘惑を乗り越えるために、祈りと共同体としての愛を通して、神様からの助けを差し伸べています。
皆さん、ミサの真ん中での祈りは何ですか?
信仰宣言ですね。
信仰宣言の中で、マリア様の役割が記録されています。
マリア様の協力のおかげで、救い主イエス様が生まれました。
ロザリオの祈りの目的は、神様の救いを、私たちの心に忘れないように続けるためです。
神様が人間を創造した瞬間から、私たちのために永遠の命を希望していました。
私たちロザリオの祈りをする時に、その神様の人間為の計画を感謝します。
どうぞ皆さん、最後に神様への感謝と、マリア様の祈りの助けを頂くために、三回アヴェ・マリアの祈りを唱えましょう。

2018年9月30日日曜日

年間第26主日

第一朗読:民数記11・25-29
第二朗読:ヤコブ5・1-6
福音:マルコ9・38-43、45、47-48


皆さん、おはようございます。
先週ちょっと寂しい体験がありました。
少し障がいを持っている人がいて、私は彼に「洗礼を受けないでしょうか?」聞きました。
彼は寂しい顔をして「私の家族が反対しています。」と言いました。
その時私が彼に「3つの洗礼のタイプがあります。
1つは水を通しての洗礼、2つは殉教を通しての洗礼、3つは希望を通しての洗礼があります。」と説明しました。
そして、彼に「やはりあなたは何年間も洗礼を受ける希望があったので、もう受けていると感じます。」と教えました。
彼はニコニコしました。
彼の希望である洗礼名を聞きました。
今日の第一朗読の福音の箇所を読んで、この出来事を思い出しました。皆さん覚えていますか?
この第一朗読の中で、モーゼが助祭式を行ったようなことがありましたが、参加しなくても二人が同じ神様の霊を受けたそうです。
ヨシュアが文句を言いました。モーゼが彼の文句をしかりました。
やはりその時にヨシュアが二人に対して嫉妬心を持っていました。
偶然ですが、今日の福音の中でも、同じ雰囲気を表しています。
今回はイエス様の一番若い弟子、ヨハネがヨシュアと同じようにイエス様に文句を言いました。
なぜなら、弟子ではない人がイエス様の名を通して、悪魔祓いを行っていました。
イエス様もモーゼと同じようにヨハネをしかりました。
その時イエス様は、有名なことわざを言いました。
それは「わたしたちに逆らわない者は、わたしたちの味方なのである。」という言葉です。
その瞬間、ヨハネもその弟子ではない人への嫉妬を持っていました。
皆さん、今日の第一朗読と福音の似ている個所を通して、私たちのカトリック系の精神をもう一度自覚しましょう。
そのために、教皇様の新しい使徒的勧告「喜びなさい、大いに喜びなさい」が大切な課題になります。
これは教皇様の第四回目の書き物になります。
教皇様の重要なポイントと、モーゼとイエス様の重要なポイントと一緒です。
嫉妬ではなく善行を見たら神様に感謝を致しましょう。
今日の第一朗読と福音から学んだことは、神様が私たちのリーダーです。
私たちが神様を導くのではなく、神様が私たちを導きます。
神様が自分の愛の霊を、人々に平等に入れて下さります。
もちろんそれは、カトリック信者ではないと思います。
神様は他の宗教も使って、自分の真理について導きます。
この内容は50年前のバチカン公会議で発表されています。
ですから皆さん、私たちも嫉妬の心を捨てましょう。
誰でも善行を見た時は、拍手をしましょう。
そして神様に感謝致しましょう。
やはり、その方は神様の愛の霊を持っていますね。
それは、聖書の最初に書いてある文章です。神様がすべての物を創造してから、確認して神様は「良いものだ」と言われました。
ですから、私たちは皆、本当に良いものです。
それを忘れないように、教皇様が最近新しい使徒的勧告を発表しました。
今回の内容は、104ページですが、今日は私たち皆が、イエス様と同じく聖人になるためです。
私たちの人生の課題は、イエス様と同じく聖なるものになるためです。
偶然ですが、昨日聖ミカエル、聖ガブリエル、聖ラファエル大天使の祝日でした。
彼らは私たちの親戚です。神様が最初に天使を創ってから、私たち人間を創りました。
天使たちも人間も特別な召命を持っています。
それを達成するために、三つの大切な道具を持っています。
一つ目は自由意思、二つ目は愛、三つ目は赦しの力です。
聖人たちがその三つの賜物を使って、良い方に成長しました。
皆さん、私たちも彼らと同じく、神様からもらった遺伝を持っています。
私たちも本当の自分の人格を持つことは生きがいです。
その実践は神様、イエス様、モーゼ、教皇フランシスコ様のお願いです。

2018年9月16日日曜日

年間第24主日

第一朗読:イザヤ50・5-9a
第二朗読:ヤコブ2・14-18
福音:マルコ8・27-35


皆さん、おはようございます。
元気ですか?毎日小さな地震がありますね。
大丈夫ですか?
私は台所のテーブルの下に隠れようと思いました。
やはり、このあぶない雰囲気の中で、普通よりももっと命の大切さと弱さについて考えますね。
今の落ち着かない雰囲気の中で、今日の福音箇所の中で、イエス様が有名なことわざを言いました。
「わたしの後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。」ということです。
その意味は、危ないことがあっても神様を信頼して、毎日頑張ろうという意味ですね。
それは、イエス様の精神だけではなく、マリア様の精神も持っていました。
また、偶然なことがあります。
今日、昨日、一昨日は十字架について特別な話と祝日がありました。
金曜日は十字架称賛、土曜日は悲しみの聖母、そして今日はイエス様が十字架について話をしました。
そのために今日、十字架のシンボルについて少し話したいと思います。
十字架は西暦300年まで、死刑するために使われていました。
しかし、ずっと前からユダヤ人たちが十字架のジェスチャーを使って、神様に賛美しました。
その時に十字架のシンボルは「タウ」と言いました。
エゼキエル書9章4節の中で、この行事について記録されています。
エゼキエルは預言者として、神様のお願いを通して、エルサレムの街に入って、市民のひたいに×のしるしを書きました。
当時の人々が神様に命を委任するために、右の手を左の肩に、そして左手を右肩にのせて、お祈りをしました。
その同じしるしは、ヘブライ語のアルファベットの最後の文字です。
その意味は、命がつきるまで、神様に自分の命を委ねるという意味です。
その時代は、動物も焼き印の文化が始まりました。
自分のものはハンコのように焼き印を入れました。
当時のしもべたちも、主人の物として、焼き印を押されました。
この背景で、今日のイエス様の言ったことは、少し理解できます。
当時の人々も「タウ(十字架)」のジェスチャーの意味を深く理解していたので、信者の生活をもっと熱心に致しましょうという意味でした。
そして、とても偶然ですが、イエス様の命の最後に、十字架の死刑を通して亡くなったので、ふたつの意味を持つことになりました。
その物語から、私たちの十字架の祈りが生まれました。
とても古いジェスチャーですね。
私たち現代のカトリック信者達は、マリア様とイエス様の犠牲の歴史を褒めたたえながら、同じ信仰生活が出来るように、教会に通っています。
そして、新しいカトリック教会のメンバーを招くために、洗礼の秘跡を授けます。この方法は全部イエス様の教えの通りです。
素晴らしい歴史ですね。
13世紀の聖フランシスコが、この「タウ」の精神(スピリチュアリティー)を、自分の弟子たちによみがえらせるために、教えました。
聖フランシスコの手紙の最後には、いつもハンコのように「タウ」の文字が使われていました。
そして、いつからか神様から聖フランシスコが最初に人間として、聖痕を表しました。
今日のイエス様の福音の言葉を読みながら、聖フランシスコの、素晴らしい信仰の模範を思い出しました。
そして、間もなく彼の祝日が来ます。
どうぞ皆さん、私たちも神様への愛を表すために、マリア様、イエス様、聖フランシスコの熱心な信仰生活を見習いましょう。
そして犠牲があっても、愛を表すために頑張りましょう。

2018年8月12日日曜日

年間第19主日

第一朗読:列王記上19・4-8
第二朗読:エフェソ4・30~5・2
福音:ヨハネ6・41-51


皆さん、おはようございます。
今日の福音もヨハネによる福音の箇所です。
私たちの典礼のB年の中で5つの日曜日のために聖ヨハネの6章から福音箇所が出てきます。
なぜなら、彼が御聖体を詳しく説明したいからです。
面白いことはマルコによる福音、ルカによる福音、マタイによる福音の中で、御聖体を説明するために最後の晩餐の様子を説明します。
しかし、聖ヨハネは最後の晩餐について説明がありません。
彼が一番最後に福音を書いた人です。
多分彼が、マタイ、ルカ、マルコの福音を読んでから、自分の福音を書きました。
イエス様について説明が足りない所を補足することが彼の目的でした。
特に信者達と御聖体を頂く習慣は、重要だと思い詳しく説明するために、6章の中で深く説明しました。
今日の説明の部分は御聖体の魂に対する結果についてです。
美味しい食べ物を食べて、お腹いっぱいになると食べ終わります。
しかし、私たちの魂は、イエス様の為にいつもお腹が満腹になることはありません。
そのために、2000年前の人々は、イエス様を探したり、集めたりしました。
私たちもそれに似ていることは、毎週日曜日に集まってミサを行っていることです。
スーパーで食材を買いますが、教会の祭壇からだけ、このイエス様の大切なパンを授かることが出来ます。
御聖体の中で一番大切な材料は、イエス様の愛です。
この御聖体のパンを食べると、イエス様の気持ちと力と約束の全部を頂きます。
本当に御聖体を通して、イエス様の存在を感じることが出来ます。
そして、彼の存在は私たちと共になります。
イエス様と共にいれば、寂しい気持ちが無くなり、悪魔を退ける力を頂くことになります。
また、一番大切なことは、イエス様と同じように、目の前の人々を赦すことが出来ますし、色々な方法で愛することも出来ます。
本当に御聖体を通して、私たちはミニイエス様になることが出来ます。
それは「クリスチャン」という意味です。
ですからクリスチャンになることは、活動的な宗教です。
私たちの力の源は御聖体です。
日本人は一番の基本の食べ物はご飯です。
同じように2000年前のユダヤ人の基本的な食べ物はパンでした。
パンが無ければ死にました。
イエス様はこの考えを使って自分の存在について説明をしました。
福音の中にはパンについての話が沢山あります。
例えば、イエス様が教えた主の祈りの中でも、パンという言葉が出てきます。
その祈りの中のパンは、スーパーで買うパンではなく、教会の中で頂くパンですね。
イエス様の希望は、私たちが一生懸命通いながら、彼の食卓に集まるイメージです。
ユダヤ人たちが過ぎ越し祭りを祝うために、羊の肉を食べましたが、普通の人はそのような肉を食べることは出来ませんでした。
ですから、パンは貧しい人たちが生き残るための栄養です。
パンもそうですし、ぶどう酒もそうです。
人間が作った食べ物飲み物です。
やはり私たちの仕事が神様を賛美するために大切です。
それを忘れないために、ミサの中で大切な部分があります。
神父がパンとぶどう酒の捧げ物を準備するために、ぶどう酒の中に少し水を入れます。
それが私たちの印です。
その意味は、私たちの命が、イエス様の命と混ざることを意味しています。
それは、イエス様の希望です。
イエス様は私たちの兄弟、友人になりたいと思っています。
イエス様が私たちを教会の中で待っています。
もちろん祈りを通してイエス様と直接触れ合うことが出来ますが、ミサに参加することによって、彼と共に天国的な食事をすることが出来ます。
ですから、ミサに参加するときに、この世の苦しみを乗り越えて、天国の光景を感じることが出来ます。
素晴らしいことです。
2000年前から私たちキリスト教信者達は、御聖体を通して、魂の栄養を養うことが出来ました。
どうぞ皆さん、もちろん日曜日のミサも大切ですが、平日のミサもあるので、魂の健康のためによくミサに参加して、イエス様に感謝の気持ちを表しましょう。

2018年8月5日日曜日

年間第18主日

第一朗読:出エジプト16・2-4、12-15
第二朗読:エフェソ4・17、20-24
福音:ヨハネ6・24-35


私は41年間メリノールの宣教師として働きました。
28年メリノール神父として、また13年間看護師ボランティアで、韓国の病院に勤めていました。
その長い間での発見は、どの国に行っても、コカ・コーラとイエス様が見つかります。
私はイエス様とコカ・コーラの両方が大好きです。
日本ではコカ・コーラを飲むときに、魔法のようにアメリカでの子供時代に帰ります。
その時、夏の間に毎週金曜日の夜、私の素晴らしいお母さんが冷たいグラスにコーラとアイスクリームを入れて、コーラフロートにしてくれました。
月曜日からずっとそのコーラフロートを飲むために待っていました。ですから今でもコカ・コーラを飲むときは、お母さんと家族を思い出します。
そして、コーラのとても魅力のある(yummy)味が大好きです。
今でも私はよくコカ・コーラを飲みます。
昔と変わらない味です。
飲むとすぐ身体が回復します。コカ・コーラの歴史を調べました。
1885年アメリカの薬屋さんでコカ・コーラを発明しました。
お腹を治す薬として発明されて、材料はココアの葉とコラの実です。
秘密のレシピですね。
オリジナルの値段は1瓶5セントでしたが、今コンビニでは1本150円です。
少し無礼かもしれませんが、私は少しコーラと御聖体への気持ちは同じです。
それは御聖体を頂いてすぐ回復して、満足して安心な気持ちが溢れます。
同じ魔法のような体験で、子供時代に戻って、小学校のシスターと神父達に聞いた話を懐かしく思い出します。
今日の福音を通して、イエス様が自分自身を紹介します。
彼は御聖体を発明した人です。
彼は「命のパン」ですと言いました。
イエス様のパンは身体の回復だけではなく、魂を回復させます。
イエス様のパンを食べると天国を感じることが出来ます。
またイエス様のパンは無料です。
カトリック教会は商売ではなく人々を救うための召命です。
今、社会では、無料で食べ物を提供する場所は沢山ありませんが、イエス様は2000年もの間無料の「命のパン」を提供していました。
夏に冷たいコカ・コーラを飲むと、喉がうるおいます。
イエス様の命のパンは心の孤独、寂しさ、そして退屈から解放します。
この3つの問題は社会で大きな悪い影響を与えています。
その3つの問題を乗り越えるために、習慣として御聖体を頂くことが、今日の福音の中でイエス様が勧めていることです。
その良い習慣の模範はマリア様です。
彼女は神秘的に妊娠した時に、一人でとても孤独を感じたことでしょう。
なぜなら、その時代はシングルマザーとしての生活の仕方が想像できなかったです。
しかし、この胎内のイエス様から力を頂いて妊婦として親戚のエリザベトを訪問することが出来ましたし、赤ちゃんイエス様を産むために、ベツレヘムまで旅をすることが出来ました。
マリア様は胎内のイエス様の存在を通して、神様の愛を感じることが出来たので、数々の問題を乗り越えることが出来ました。
皆さん、日曜日に、私たちがマリア様と同じように神様から1週間分の力と愛を頂くためにミサに参加します。
聖書を通して私達ユダヤ人と、キリスト信者の祖先たちの物語を聞きながら、私達の目の前の孤独、寂しさ、退屈さを乗り越えるために、アドバイスを頂きます。
今、北海道の暑い夏ですが、お母さんの作ってくれたコーラフロートを思い出しました。
それはお母さんの愛の印でした。
イエス様の命のパンは彼の愛の印です。
どうぞ皆さん、心の健康のために毎週イエス様の愛一杯の御聖体を頂きましょう。
今年は特に暑いので気を付けて下さい。