第二朗読:ヤコブ2・14-18
福音:マルコ8・27-35
皆さん、おはようございます。
元気ですか?毎日小さな地震がありますね。
大丈夫ですか?
私は台所のテーブルの下に隠れようと思いました。
やはり、このあぶない雰囲気の中で、普通よりももっと命の大切さと弱さについて考えますね。
今の落ち着かない雰囲気の中で、今日の福音箇所の中で、イエス様が有名なことわざを言いました。
「わたしの後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。」ということです。
その意味は、危ないことがあっても神様を信頼して、毎日頑張ろうという意味ですね。
それは、イエス様の精神だけではなく、マリア様の精神も持っていました。
また、偶然なことがあります。
今日、昨日、一昨日は十字架について特別な話と祝日がありました。
金曜日は十字架称賛、土曜日は悲しみの聖母、そして今日はイエス様が十字架について話をしました。
そのために今日、十字架のシンボルについて少し話したいと思います。
十字架は西暦300年まで、死刑するために使われていました。
しかし、ずっと前からユダヤ人たちが十字架のジェスチャーを使って、神様に賛美しました。
その時に十字架のシンボルは「タウ」と言いました。
エゼキエル書9章4節の中で、この行事について記録されています。
エゼキエルは預言者として、神様のお願いを通して、エルサレムの街に入って、市民のひたいに×のしるしを書きました。
当時の人々が神様に命を委任するために、右の手を左の肩に、そして左手を右肩にのせて、お祈りをしました。
その同じしるしは、ヘブライ語のアルファベットの最後の文字です。
その意味は、命がつきるまで、神様に自分の命を委ねるという意味です。
その時代は、動物も焼き印の文化が始まりました。
自分のものはハンコのように焼き印を入れました。
当時のしもべたちも、主人の物として、焼き印を押されました。
この背景で、今日のイエス様の言ったことは、少し理解できます。
当時の人々も「タウ(十字架)」のジェスチャーの意味を深く理解していたので、信者の生活をもっと熱心に致しましょうという意味でした。
そして、とても偶然ですが、イエス様の命の最後に、十字架の死刑を通して亡くなったので、ふたつの意味を持つことになりました。
その物語から、私たちの十字架の祈りが生まれました。
とても古いジェスチャーですね。
私たち現代のカトリック信者達は、マリア様とイエス様の犠牲の歴史を褒めたたえながら、同じ信仰生活が出来るように、教会に通っています。
そして、新しいカトリック教会のメンバーを招くために、洗礼の秘跡を授けます。この方法は全部イエス様の教えの通りです。
素晴らしい歴史ですね。
13世紀の聖フランシスコが、この「タウ」の精神(スピリチュアリティー)を、自分の弟子たちによみがえらせるために、教えました。
聖フランシスコの手紙の最後には、いつもハンコのように「タウ」の文字が使われていました。
そして、いつからか神様から聖フランシスコが最初に人間として、聖痕を表しました。
今日のイエス様の福音の言葉を読みながら、聖フランシスコの、素晴らしい信仰の模範を思い出しました。
そして、間もなく彼の祝日が来ます。
どうぞ皆さん、私たちも神様への愛を表すために、マリア様、イエス様、聖フランシスコの熱心な信仰生活を見習いましょう。
そして犠牲があっても、愛を表すために頑張りましょう。