第二朗読:ヘブライ7・23-28
福音:マルコ12・28b-34
皆さん、おはようございます。
11月に入って、札幌では葉が落ちて、秋の雰囲気ですね。
そして、冬のために木の枝を切ったり、準備をしています。
この時期に毎年死者のミサを行います。
日本の文化では、お盆に亡くなった家族のことを祈りますが、欧米の文化は、11月の中で、亡くなった人々のために祈ります。
この歴史はイエス様が生まれる150年前から記録されています。
マカバイ記二、12章42-46節に戦争で亡くなった軍人たちが天国へ行けるように祈る内容が書いてあります。
これ以外にもゼカリア書、シラク書、マタイによる福音の中でも同じように、亡くなった人々が天国へ行けるように祈りましょうと書いてあります。
西暦998年11月2日、フランスのクリューニーの修道院の中の修道者、聖オディロが亡くなった人々のために、その特別な日を発表しました。
1か月間亡くなった人々のために祈っていたそうです。
亡くなった家族が、紙に名前を書き、祭壇に置いていたそうです。
14世紀から教皇様が、この大切な祈りの日を認めて、全カトリック教会に発表しました。
前の日、諸聖人の祝日ですが、2日は天国に無事到着していない家族のために、魂を清めて魂を無事に天国に送るための祈願の日です。
15世紀の宗教革命者ルターは、この考え方を断りました。
そして、自分の聖書を翻訳したときに、死者のために祈りを求める聖書の本を入れませんでした。
その理由は、ルターは煉獄を信じていなかったからです。
煉獄は聖書に書いてはいませんが、1コリント15章に、聖パウロが煉獄について暗に意味したそうです。
カトリック教会のカテキズム2447番、慈善のわざに身体的・精神的に困っている人を助ける信者の義務について書いてありますが、その中で、亡くなった人々の事も含みます。
その通り、金曜日に教皇フランシスコ様が、ローマの一番大きなフラミンゴ墓地を訪問して、お墓を祝福しながら祈りました。
それが終わって、バチカンに戻って、同じように地下にある亡くなった教皇様達のお墓を祝福し、祈ったそうです。
その時の教皇様のメッセージの重要なポイントは「今日の祝日は私たちの心に寂しさを感じますが、希望もあります。」です。
教皇様は続けて、「私たちの献花のお花は、私たちの希望の気持ちを表します。イエス様の十字架の苦しみと御復活によって、希望のドアを開いてくださったからです。」と言いました。
私たちのイエス様による信仰によって、愛された仲間たち、家族と私たちも、将来、御復活すると信じています。
それは私たちの希望です。
今日の朗読は年間第三十一主日のものです。
今日の日曜日の福音は、私たちカトリック信者たちの一番大切な掟についてです。
もちろん、その掟の内容は愛です。
神様への愛、自分のための愛、周りの人々への愛です。
愛を示すためにいっぱいの方法があります。
その中で、私たちカトリック信者にとって、神様と自分のためと周りの人々のために祈ることは最も大切です。
私の洗礼名の祝日にも、カトリック円山教会の信者達が、親切に私への優しい祈りのプレゼントをくださいました。
今日の死者の日はその通りです。
私たちより先に亡くなった仲間と家族へ、深い愛の気持ちを示すために祈ります。
やはり聖パウロの有名なことわざ通りに、「愛は決して滅びない。」と言われています。
亡くなった仲間と家族は、いなくなることではなく、神様の家で眠りながら私たちのために待っています。
死を通して、人間関係は壊れるわけではありません。
彼らの愛も天国からずっと頂いて、私たちも無事に天国に到着できるように導きます。
私たちの命は神様からの大切な贈り物です。
今の命も次の命もそうです。
今日、先に亡くなった仲間と家族のために祈りながら、同時に神様にも命への感謝を致しましょう。