第二朗読:ヤコブ5・1-6
福音:マルコ9・38-43、45、47-48
皆さん、おはようございます。
先週ちょっと寂しい体験がありました。
少し障がいを持っている人がいて、私は彼に「洗礼を受けないでしょうか?」聞きました。
彼は寂しい顔をして「私の家族が反対しています。」と言いました。
その時私が彼に「3つの洗礼のタイプがあります。
1つは水を通しての洗礼、2つは殉教を通しての洗礼、3つは希望を通しての洗礼があります。」と説明しました。
そして、彼に「やはりあなたは何年間も洗礼を受ける希望があったので、もう受けていると感じます。」と教えました。
彼はニコニコしました。
彼の希望である洗礼名を聞きました。
今日の第一朗読の福音の箇所を読んで、この出来事を思い出しました。皆さん覚えていますか?
この第一朗読の中で、モーゼが助祭式を行ったようなことがありましたが、参加しなくても二人が同じ神様の霊を受けたそうです。
ヨシュアが文句を言いました。モーゼが彼の文句をしかりました。
やはりその時にヨシュアが二人に対して嫉妬心を持っていました。
偶然ですが、今日の福音の中でも、同じ雰囲気を表しています。
今回はイエス様の一番若い弟子、ヨハネがヨシュアと同じようにイエス様に文句を言いました。
なぜなら、弟子ではない人がイエス様の名を通して、悪魔祓いを行っていました。
イエス様もモーゼと同じようにヨハネをしかりました。
その時イエス様は、有名なことわざを言いました。
それは「わたしたちに逆らわない者は、わたしたちの味方なのである。」という言葉です。
その瞬間、ヨハネもその弟子ではない人への嫉妬を持っていました。
皆さん、今日の第一朗読と福音の似ている個所を通して、私たちのカトリック系の精神をもう一度自覚しましょう。
そのために、教皇様の新しい使徒的勧告「喜びなさい、大いに喜びなさい」が大切な課題になります。
これは教皇様の第四回目の書き物になります。
教皇様の重要なポイントと、モーゼとイエス様の重要なポイントと一緒です。
嫉妬ではなく善行を見たら神様に感謝を致しましょう。
今日の第一朗読と福音から学んだことは、神様が私たちのリーダーです。
私たちが神様を導くのではなく、神様が私たちを導きます。
神様が自分の愛の霊を、人々に平等に入れて下さります。
もちろんそれは、カトリック信者ではないと思います。
神様は他の宗教も使って、自分の真理について導きます。
この内容は50年前のバチカン公会議で発表されています。
ですから皆さん、私たちも嫉妬の心を捨てましょう。
誰でも善行を見た時は、拍手をしましょう。
そして神様に感謝致しましょう。
やはり、その方は神様の愛の霊を持っていますね。
それは、聖書の最初に書いてある文章です。神様がすべての物を創造してから、確認して神様は「良いものだ」と言われました。
ですから、私たちは皆、本当に良いものです。
それを忘れないように、教皇様が最近新しい使徒的勧告を発表しました。
今回の内容は、104ページですが、今日は私たち皆が、イエス様と同じく聖人になるためです。
私たちの人生の課題は、イエス様と同じく聖なるものになるためです。
偶然ですが、昨日聖ミカエル、聖ガブリエル、聖ラファエル大天使の祝日でした。
彼らは私たちの親戚です。神様が最初に天使を創ってから、私たち人間を創りました。
天使たちも人間も特別な召命を持っています。
それを達成するために、三つの大切な道具を持っています。
一つ目は自由意思、二つ目は愛、三つ目は赦しの力です。
聖人たちがその三つの賜物を使って、良い方に成長しました。
皆さん、私たちも彼らと同じく、神様からもらった遺伝を持っています。
私たちも本当の自分の人格を持つことは生きがいです。
その実践は神様、イエス様、モーゼ、教皇フランシスコ様のお願いです。