2018年5月27日日曜日

三位一体の主日

第一朗読:申命記4・32-34、39-40
第二朗読:ローマ8・14-17
福音:マタイ28・16-20



皆さん、おはようございます。
今日は三位一体の日曜日です。
この神秘的な祝日を祝うために、最近起こった二つの体験を分かち合いたいと思います。
先週、23日から26日の朝まで軽井沢に行って、日本カトリック協議会の日本男子修道会、宣教会の管区長と院長たちのミーティングに参加しました。
偶然ですが、講演者は東京の大司教菊池様でした。
そして、札幌教区の勝谷司教様も参加しました。この会は毎年あります。
目的は私たち修道会と宣教会が、どのように福音宣教を行うことができるか話し合うチャンスです。
私にとってそこの話は素晴らしかったし、他の日本にいる修道会と宣教会の代表たちに初めて会って素晴らしい体験でした。
国際連合に似ていました。
なぜなら沢山の国々からの集まりでした。
しかし、一番忘れられない体験は、食事の後で私たち司教、神父、ブラザー達が一緒にお皿を洗い片付けをしました。
一つのグループは、お皿などを洗いました。
もう一つのグループがタオルで水をふき取りました。
最後のグループがまた綺麗になった皿をテーブルにセットしました。
このことをしながら、三位一体の父と子と聖霊のことを思い出しました。
なぜなら同じ目的を達成するために協力したからです。
もう一つの体験は、偶然ですが東京でベートーベンのオペラがあり、友人のメリノール神父と参加しました。
このタイトルは「フィデリオ」です。
それを翻訳すると、忠実という意味を含んでいます。
このオペラがベートーベンにとって一つだけのオペラでした。
内容は奥さんのリオノーレの不公平な主人が刑務所に入っているので、解放するために男装をして自分も刑務所に入って助けました。
その奥さんの男性としての新しい名前はフィデリオでした。
このオペラのテーマは、人間の愛情と自由についてです。
とても楽しかったです。
私にとって、このオペラを見ながらイエス様について考えました。
彼は本当に神様の息子なのに、私たち人間を悪魔の誘惑から解放するために、人間として生まれました。
そして十字架の苦しみと御復活を通して、私たち人間を救いました。
やはり、イエス様の生きている時のテーマも「愛と自由」でした。
それは神様の希望と同じでした。
イエス様はそれを協力しました。
この軽井沢の沢山の他の修道会と宣教会の代表たちに会って、私たち人間の生きがいについて考えました。
それは、親密な間柄についてです。
世界中の男性たちが神様の宣教に協力するために、色々な修道会に入ることを通して神様への忠実さと愛を感じます。
そのベートーベンのオペラと同じポイントです。
愛する人のために、苦しみがあっても自由意思を通して頑張る責任があります。
私も天使大学で18年教えてみて、若い日本人が信者になっても、同じ価値観を通したことを見ました。
例えば入学したときには全然知らない関係の学生がいましたが、自分の選択の専門によって、友人関係になって、お互いが卒業するために助け合うことを見てきました。
本当に日本の若者たちの愛を見て、親密な関係になることもあると思いました。
卒業の日は、本当に家族のような雰囲気になっています。
その美しい雰囲気の中で、気を付けることもあります。
それは聖パウロの第二朗読の中で書かれています。
彼にとって人間関係の二つの良い面と悪い面があるとメッセージに書かれています。
悪い面はお互いを恐ろしい存在と思うことです。
それは悪いグループに入って縛られてコントロールされることがひとつの例です。
良い例はキリスト教信者になることです。
私たち信者たちは自由意思と愛を通して、神様の家族のメンバーになることです。
聖パウロもその背景です。
道端で不思議にイエス様に会って、前の厳しいファリサイのグループの価値観を捨てて、代わりにもっと広い愛を通して有名な福音宣教者になりました。
皆さん、私たちのカトリック信仰生活は、私たちが神様の子供である証拠です。
聖書を始める言葉を通して、私たちは神様に似ているものだと書いてあります。
私たちのお互いのための愛を通して、三位一体の部分になります。
私たちの友人愛、家族の愛、教会のための協力さは、私たちが神様の家族である証拠です。
三位一体は共同体です。
父と子と聖霊は一人一人で別々な関係ですが嫉妬とは関係がありません。
同じ目的のために努力します。
ですから、三位一体は現在の信者たちにとって、素晴らしい模範です。
私たちも信者の生活をしながら、お互いの信者の賜物を嫉妬しないで、感謝して、一緒に働く雰囲気が三位一体の雰囲気と同じです。
今日は5月最後の日曜日なので、マリア様への感謝の月が終わります。
マリア様の特長は人生の中で三位一体の、三人のメンバーの別々に深い関係がありました。
マリア様も自分の人生の時間、自分の身体、自分の愛と祈りの生活、神様への使命を果たすために人生を捧げました。
ですから、マリア様は私たちにとって、どんな方法で三位一体を賛美するか良い模範です。
特にマリア様はイエス様への愛情を注ぐことが彼女にとっての特長でした。
妊娠の時から十字架上まで、マリア様は母親として息子を支援しました。
それは私たちの課題です。お互いの命を尊重することです。
どうぞ皆さん、私たちもマリア様の模範を見習って、お互いを尊重して愛しましょう。
その行いを通して、私たちも三位一体のメンバーであることを表します。