2018年4月29日日曜日

復活節第5主日

第一朗読:使徒言行録9・26-31
第二朗読:一ヨハネ3・18-24
福音:ヨハネ15・1-8


皆さん、おはようございます。
私は、毎日車で天使大学に通っています。
ちょうど金曜日の朝に車で走りながら、今年初めて桜の花を見ました。
ゴールデンウィークの前なので、神様から頂いたプレゼントだと思います。
よかったですね。
最近の日曜日の福音は、聖ヨハネによるメッセージを聞いていました。
聖マルコ、聖マタイ、聖ルカは聖ヨハネの書き方と全然違います。
この三人は新聞記者たちに似ています。
2000年前にイエス様が生きていた時に、彼の言葉と行いと、周囲の人々の反応が記録されています。
その中で、聖マルコと聖ルカはイエス様に直接会ったことがないと思います。
聖マタイと、聖ヨハネはイエス様の弟子たちでした。
ですからもっとはっきり、詳しくイエス様の人生と心の様子を説明することが出来ました。
聖ヨハネはイエス様の一番若い弟子でしたので、またイエス様がかわいい弟と感じて、イエス様と深い関係になりました。
聖書の中で、聖ヨハネはイエス様に愛された弟子とニックネームが書いてあります。
聖ヨハネはよくイエス様の人間性を説明するために、色々な表現を使って、イエス様を説明しました。
例えば御復活の後で、イエス様のことを何回も「羊飼い」として表しました。
私たちは羊だったそうです。
あまり偉いイメージはないですが、良い信頼関係が感じられます。
今日は聖ヨハネが別な表現をしています。
それはイエス様が「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。」といったことです。
また、イエス様が天のお父様の役割も教えました。
それは「わたしの父は農夫である。」ということです。
今、札幌は桜が咲いてお花見シーズンですので、今日の福音の箇所は不思議です。
そして、ガーデニングシーズンが始まりました。
いっぱい綺麗な花があるので、どうぞ皆さん買ってください。
私は花が好きです。
先週の良い羊飼いのイメージを通して、イエス様の救い主の役割について黙想しました。
イエス様が一頭も失わないで、皆集まって一つの群れにしたいです。
不思議ですが、先週イエス様が「私がまだ聞かない羊もいる。彼らも救いたいです。」と言いました。
その他の羊は、他の宗教の信者達でしょう。
イエス様はすべて平等です。
イエス様は羊の心、魂に似ています。
魂の下に「メイドイン天国」と書いてあるでしょう。
人間皆は、神様の娘、息子たちです。
今日は、別なイメージを通して、私たち信者達とイエス様の人間関係を説明するために、木と枝の例えをしました。
私たちは枝の役割なので、実を実らせなければなりません。
それを理解すれば、ミサを理解しやすいです。
私たちイエス様の家族として、ぶどう酒会社に似ています。
私たちの愛の業を通して、美味しいぶどうを表します。
そのぶどうを絞って、美味しいワインになります。
日曜日のミサに私たちが先週作ったワインをぶどう園の社長である天のお父様に、検品のために持っていきます。
天のお父様がこれを検品して、皆さんに返します。
それを楽しんでください。
その方法で私たちは神様に賛美する生活を送るべきです。
もちろんイエス様なしでは美味しいぶどう酒を作ることは出来ません。
私たちの愛の源はイエス様です。
お祈りを通して、聖書を読むことを通して、施しを通して、断食を通して、優しい行いを通して、イエス様の新しい愛を受け取ります。
どうぞ皆さん、今ガーデニングシーズンが始まりましたので、家の庭の心配だけではなく、自分の心の庭もケアして下さい。
今日の福音は、そのために聖ヨハネは2000年前に書きました。
皆さん、天のお父様とイエス様が私たち協力を願っています。
もっと楽しく美しく社会の雰囲気を作るために、カトリック教会が建ちました。
私たちの霊的な枝から出る言葉と行いは、神様の愛のメッセージを周囲の人に伝えることです。
ぶどう園の社長である神様の喜びのために、2018年の途中で美味しい実りを作りましょう。

2018.04.29 今週のお知らせ

4月29日(日)
復活節第5主日
0930
教会学校
1100
聖堂清掃
1000
主日ミサ(近藤師)
1100
福祉納豆販売

★今週の予定★(掲示板などで再確認してください)

4
30
(月)
0615
ミサ
5
01
(火)
0615
ミサ

02
(水)
0615
ミサ
 
03
(木)
0700
ミサ/聖心会

04
(金)

1000
1030
1030


ミサ/初金
教会清掃/G
金曜作業G


05
(土)

0700
1830


ミサ/入門クラス
English Mass


06
(日)

0930
1000
1100


1115

教会学校
主日ミサ(ケン師・佐久間師)
福祉コーヒー
佐久間師を囲む茶話会
サトニクラス苗販売
聖歌隊練習

2018年4月22日日曜日

復活節第4主日

第一朗読:使徒言行録4・8-12
第二朗読:一ヨハネ3・1-2
福音:ヨハネ10・11-18


皆さん、おはようございます。

羊飼いの体験はありませんが、今年64日に、私が神父になってからの28年の記念日です。
それ以外にもジンギスカンがとても大好きです。
皆さんも大好きになるでしょう。
心配しないでください、食べません。HaHa!!!
今日は教皇様によって世界召命祈願の日になったそうです。
どうぞ皆さん、今日のミサで祈りながら、教会のニーズを満たすために、必要な神父、シスター、ブラザー、一般的な信者さんも溢れるように祈りましょう。
皆さんの羊飼いと歴史はわかりませんが、私の場合は男性の羊飼いではなく、女性の羊飼いとして1から学びました。
もちろん私にとって大切な羊飼いはお母さんでした。
お母さんはアイルランド人です。
故郷は、アスロンです。
それは、アイルランドの「心」だといわれています。
とっても小さい町です。
車で訪問するとゆっくり走らなければ、通り過ぎてしまいます。
その市民の仕事は、羊を育てることです。
その体験から、少し羊について学んできました。
何回も故郷を訪問しました。
覚えていることは、羊は少し汚いですし、匂いもあるし、頭があまりよくありません。
しかし、羊飼いたちが自分の羊の群れを家族のようにケアをしました。
冬の時は家族が、子羊たちを暖炉の前に寝かせます。
実は私のアイルランドの家族は、羊が生きがいでした。
羊の元気がない場合は、自分たちも生活が出来なくなります。
羊の毛や食肉になるために、毎年何頭かバイバイしました。
アイルランドの家族からもらった、羊の毛で作ったセーターが子供の時代に一杯ありました。
覚えていることは、着るととても温かかったことです。
しかし、ちょっと問題があります。
店から買うセーターと違って、匂いが残っているので、小学校の時に他のクラスメイトから「ケンちゃんくさいです」と言われました。
私の母にとって、私たち子どもたちが任された羊たちでした。
お母さんと私たちはちょっと問題がありました。
それは血液の問題です。
特に男の子達が、その問題で生まれてから死にそうでした。
いつもお母さんが別々の聖人に私たちが生き残るように、祈りました。
私のために聖ジェラードに祈りました。
下の弟のために、聖クリストファーに祈りました。
そして、さらに下の弟は聖アントニオに祈りました。
お母さんのお陰で、私たちは生き残って、元気に生活しています。
その時代、アメリカでは今よりカトリック信者たちは大きい家族でした。
今、家族が七人ですが、出産のときに問題があり二人の子どもは亡くなりました。
その時を覚えています。
父が私たち子どもを集めて、「お母さんが今大変です。天国に行くかもしれません。お母さんと新しい兄弟のために祈ってください。」と言いました。
私たちは皆泣きました。
そして、お母さんは生き残りました。
本当に神に感謝です。そのために、私にとって、先程読んだ福音の箇所は特別な意味が在ります。
皆さん覚えていますか?
イエス様は羊たちを守るために、自分の命を捧げます。
それは本当にお母さんの模範と同じです。
家族を育てるために大きな犠牲を払いました。
私の母の場合、力は私たちの子ども達への愛です。
また、神様への愛です。
大学までにお母さんと一緒に、羊の群れと同じように家族として教会の日曜日のミサに参加しました。
そして、ミサの後の昼ご飯は、一週間の食事の中で一番豪勢でした。
それは、イエス様に感謝する印でした。
私はその背景として、神父になることが簡単でした。
なぜなら、お母さんが立派な羊飼いの模範を示したからです。
今日の福音の中でイエス様が、生きがいについて説明するために、羊飼いの話をしました。彼の時代二つのタイプがあったみたいですね。
アルバイトの羊飼いは時給のために働きました。
専門職の羊飼いはもっと深い目的として働いたそうです。
それは自分の利益よりも、羊達への愛情のためです。
2018年の中で2000年前と同じように、お金なしでは生活できないでしょう。
お金を通して、食べ物、着る物などのニーズを満たすために買うからです。
しかし、いつかお金で買うこと出来ないものにぶつかります。
例えば、人間関係、健康、幸せ、希望などです。
そのようなものは、神様から頂いたプレゼントです。
それを得るために私たちは教会に集まります。
神様は私たちを愛しますので、そのお金で買うのも与えられるでしょう。
皆さん、私たち人間は、羊よりも頭がいいです。
羊は本能を通して動きます。
私たち人間は、価値観(愛)と理性を通して生活します。
心と耳を開いて神様の導きの声を聞くために、毎週日曜日のミサに参加しましょう。
そして、私のお母さんと同じように周りの人々のニーズ満たすために、良い羊飼いの模範を示しましょう。

2018.04.22 今週のお知らせ

04月22日(日)
世界召命祈願の日
0900
教会学校


1000
主日ミサ(加藤師)
1100
教会総会

★今週の予定★(掲示板などで再確認してください)

4
23
(月)
0615
1000
ミサ
絵手紙

24
(火)
0615
ミサ

25
(水)

0615
0900
1000


ミサ
業者清掃
筆字の会

 
26
(木)

0700
1000
1000
1200


ミサ/聖心会
養成クラス
キルトの会
聖堂清掃


27
(金)
1000
1830
金曜作業G
ミサ

28
(土)
0700
1830
ミサ/入門クラス
English Mass

29
(日)

0930
1000
1100
1100

教会学校
主日ミサ(近藤師)
聖堂清掃
福祉納豆販売

2018年4月15日日曜日

復活節第3主日

第一朗読:使徒言行録3・13-15、17-19
第二朗読:一ヨハネ2・1-5a
福音:ルカ24・35-48


皆さん、おはようございます。
先週新しいスケジュールで会えませんでした。
どうですか?大丈夫でしたか?
朴神父は神父になって10年です。
そして、韓国で主任司祭の体験もあったそうです。
優しい楽しい神父だったと思います。
彼は色々日本の言葉だけではなく、文化や、日本人のスピリチュアリティーがまだそれほどわからないので、みんなで協力していきましょう。
私も韓国で神父の勉強をしましたので、日本と違うことは理解します。
初めて私も室蘭で神父の仕事を始めた時も、少し難しかったです。
来週22日は世界召命祈願の日です。
どうぞ皆さん、教会のニーズを満たすために、足りない神父の召命、シスターの召命、ブラザーの召命、信者の召命を溢れるために、皆さんで祈りましょう。
教会の召命の運動は時代によって違いますね。
私の時代は若い時にケネディー大統領はカトリック信者として大統領になりましたので、アメリカのカトリック教会に大きな力を与えました。
私たち信者たちは高いプライドを持っていました。
同時に有名なサウンドオブミュージックの映画が上映されていましたので、若い女性たちは皆、映画のマリアになりたい気持ちになりました。
私のお姉さんは3人いますが、同じ影響を受けました。
しかし、彼女たちはシスターになりかたや、シスターたちの服装を調査しました。
沢山の種類と色がありましたね。
私の小学校の時代はノートルダムのシスターたちが教えてもらいました。
そのシスターたちの被り物は大きい鳥のようでした。
ドアの入り口に入る時に引っ掛かりそうになっていました。
そして、休憩時間にグラウンドで遊んでいると、シスターたちの被り物は強い風が吹くと飛んでいきそうになるので、頭を押さえていました。
偶然ですが、この時、テレビで優しく素晴らしいシスターのテレビドラマが放送されていました。
番組の名前は「フライング・ナン(Flying Nun)」でした。
ドラマの中で困った人がいるときに、彼女は外に出てスパーマンみたいに飛びました。
私も自分のお姉さんたちの影響で神父になりたいと思いました。
私も男性の修道者たちの服を調べました。
その中で、トラピスト修道者の服が好きになりました。
なぜなら、その時代、十字軍の映画も上映されていて、その十字軍たちの服とトラピストの服が似ているので、私も十字軍の神父になりたいと思いました。
若いケンちゃんはちょっとクレイジーボーイでしたね。
バチカン第二公会議が終わってから、一つの時代が終わり変化しました。
特にアメリカの場合、シスターたちの服が前よりシンプルに変わりました。
あるシスターたちは、その特別な服をやめて十字架だけつけて任された仕事を行いました。
その時代の精神は、召命は外側からではなく、内面から出てくるものであるといわれました。
私もメリノール神父として、日本に来てちょっと驚きました。
その時代の神父たちが伝統的な神父のカラー(ローマンカラー)を付けないで、ネクタイを付けている神父が5人くらいいました。
今でも、メリノール会でマイレット神父とライアー神父も教区のイベントの時には、ローマンカラーではなく、ネクタイを付けます。
やはり大昔は、教会の司祭、シスター、ブラザー達は、今より着る服を通して、周りの人々に大切な印象を与えることが重要視していました。
何年か前に、看護協会も同じ革命がありました。
皆さんもご存知だと思いますが、ナースキャップが無くなりましたね。
教会の中で誰が神父、シスター、ブラザーかわからないように、病院でも誰が家族か看護師かわかりづらいです。
病院では、その混乱を招かないように、看護師たちの服装が決められています。
アメリカの病院は、ちょっと自由で、特別な病院の服を着てファッションショーのようになるのでネームプレートを見なければ、何の役割かわかりません。
日本も同じ問題があるでしょう。
このことと、今日の福音は何の関係でしょうか?
やはり私たちのキリスト教信者であることを、再認識するために特別な服は必要ありません。
服よりも私たちの生き方、精神、祈りの姿が最も重要です。
面白いことは、イエス様がご復活してから、彼の知り合いの人々の中で、イエスだとすぐにわからない人がいました。
御復活してから、新しい服があったみたいです。
しかし、彼の言葉と傷、祈りの姿、兄弟たちの愛を通して、イエスだとわかりました。
皆さん、イエス様の模範から起き上がりましょう。
私たちは、お御堂の中でカトリックの存在を表すように、教会を出てもカトリックのアイデンティーを言葉と行いを通して表しましょう。
それは福音宣教です。
仕事場、学校、ショッピングの時も周りの人々が私たちに会うチャンスですね。
福音宣教のチャンスですね。
私たち信者の召命は会う人々に、愛を通して希望を与えることです。
その中で、「あなたに平和がありますように」という挨拶は、カトリック信者にとって特徴的な挨拶です。
どうぞ皆さん、イースターの喜びの雰囲気の中で、私たちの尊い召命を改めて感じましょう。
イエス様と同じような人間性の生活を実践しましょう。