第一朗読:イザヤ58・7-10
第二朗読:一コリント2・1-5
福音:マタイ5・13-16
みなさん、おはようございます。
第二朗読:一コリント2・1-5
福音:マタイ5・13-16
みなさん、おはようございます。
今日のイエス様のお話は、塩と光についてです。
現代の私達は、塩を取ることは健康のために気をつけなければいけませんが、大昔の人々は塩を大切なものと考えていました。
冷蔵庫がない時代は食べ物を保存するために塩が必要でした。
今のようにスーパーはありませんが、塩は価値あるものとして売買されていました。
今日のイエス様の話を理解するために2つの塩の使い方があります。
一つ目は塩は、ローマの軍人たちはお金の代わりに塩をもらいました。
その塩は他の物と交換することができました。
それは日本のパチンコに似てますね。
ラテン語で塩は「sal」です。
この歴史から現代の給料「salary」が生まれました。ですから、塩は経済的に関係がありました。
しかしイエス様は経済的な意味ではなくその塩の使い方について述べています。
最近考古学者たちが、塩のもう一つの役割を見つけました。
イエス様の時代、古い家のオーブンの下に大きな岩塩を置き、その上で火をつけていたそうです。
砂漠のイスラエルでは、木ではなく、動物のフンを乾かしたものを、火を起こす燃料として使っていました。
なぜならその塩は火を起こすことを促す働きがあったのです。
しかし、使っていくうちに、その塩の効果は弱くなっていったので、効果のなくなった塩は捨てられました。
イエス様もそのことについて今日の福音で話されています。
大昔の人々にとって塩は大切な役割を持つ貴重なものであり、力の源となるイメージがありました。
イエス様の言った「地の塩」の意味は、この人が人間のニーズを満たすための力を持っていることを示しています。
イエス様は弟子達(私達)の信者達のために、このような、力があるものを見つけたいと思いました。
イエス様が言った、「世の光」という言葉も同じようなイメージを持っています。
イエス様はユダヤ人なので預言者イザヤの文章をよく知っていました。
今日の第一朗読の内容はこのような人々のことを表しているのだと思います。
みなさん、カトリック教会の伝統的な慈悲の7つの行いは、イエス様新約聖書で天国に入るためにマタイによる福音25章の中で、義務として書かれています。
しかし、旧約聖書の中にもイザヤ書の中にも書かれています。
イエス様は最も大切な業として注意しています。
1.飢えた人に食べ物を与える
2.のどが渇いたときには飲み物を与える
3.旅をした時に宿を貸す
4.裸の時に服を着せる
5.病気の時に見舞う
6.牢にいた時に訪ねる
7.亡くなった人を埋葬する
ことです。
この愛の業を実践するために、頑張りましょう。
私は、とても寂しいです。
なぜなら、私のアメリカの大統領のトランプさんが先週の中で危ない国から逃げてくる移民を反対する命令を出しました。
沢山の先生、留学生達もアメリカのパスポートが無いと、アメリカに入ることができません。
留学生たちもビザ(グリーンカード)を持っていても入国できません。
それは、イエス様の話と反対ですね。
今のアメリカが心配です。
私達この中東にいる移民の人々を助けることは出来ませんが、私達日本で大変な人々を、イザヤとイエス様が話した業を通して神様の栄光のために光を照らすことができます。
頑張りましょう。