2018年3月31日土曜日

復活の聖なる徹夜祭

第一朗読:創世記(創世記1・1、26-31a)
第二朗読:創世記(創世記22・1-18、または22・1-2、9a、10-13、15-18)
第三朗読:出エジプト記(出エジプト14・15~15・1a)
第四朗読:イザヤの預言(イザヤ54・5-14)
第五朗読:イザヤの預言(イザヤ55・1-11)
第六朗読:バルクの預言(バルク3・9-15、32~4・4)
第七朗読:エゼキエルの預言(エゼキエル36・16-17a、18-28)
使徒パウロのローマの教会への手紙(ローマ6・3-11)
福音(B年):マルコによる福音(マルコ16・1-7)

皆さん、御復活おめでとうございます。
ハッピーイースター!
今日の喜びいっぱいの日について、紀元前1000年にダビデ王は詩編の11824節の中で「今日こそ主の御業の日。今日を喜び祝い、喜び躍ろう。」と書きました。
しかし、御復活の喜びは何という意味ですか?
この説教を大学で準備しながら、偶然同僚の先生と駐車場で会いました。
びっくりしました。
私が到着してから、彼が隣に駐車をしました。
彼は新しい車を買いました。
ものすごい大きな黒いアメリカのリンカンの車を買いました。
それもアメリカで買っても高いですが、日本で買うのは想像つきません。
私はドアを開けてショックで「えっー!?」と言いました。
彼は答えました。「ケンちゃんおはようございます。私はいつ死ぬかわからないので、大きな車を買いました。」
私は「そうですか、わかりました。頑張ってください。」と答えました。
もちろんその同僚の先生は、信者ではありません。
彼の今の人生の楽しみです。
その体験から、私たちカトリック信者達は今も重要ですが、天国での生活も重要でしょう。
私たちは洗礼を受ける前は、普通の人間だけでした。
この世の誘惑によく落ちました。
生きがいは死ぬまで楽しい生活をすることでした。
それは同僚の先生の生きがいでしたね。
しかし、洗礼の後で、神様が私たちの魂を清めて下さいました。
そして、悪魔の誘惑の代わりに、神様が、私たちの魂の中におられます。
今晩私たちは、二人の新しい姉妹を迎えます。
今日お二人は三つの秘跡を授かります。
「洗礼」「御聖体」「堅信」です。
「洗礼」を受けることとお母さんから生まれることは似ています。
完全な人間ですが、元気に成長するためには周りの人々の支援が必要です。
ですから、カトリック教会の用語では、洗礼を受けた者は神様の子供だといわれます。
これから立派なカトリック信者になるために共同体の皆さん、お願いいたします。
彼女たちにカトリック信者としての歩み、祈りの生活など導いてください。
これから私たちは皆さんの新しい兄弟、姉妹です。
質問があれば遠慮なく聞いてください。
カトリック教会は神様の家です。
安全、安心なところです。
いつでも、教会のお御堂に来て、神様と祈りながら相談して下さい。
天のお父様が皆さんを、カトリック教会の信者として呼ばれました。
カトリック教会は国際的な家族です。
ですから、違う国に行っても、どんなカトリック教会に入っても、ミサに参加することができます。
それは天国のしるしです。
天国でも私たち皆、神様の家の中に住む予定です。
私たちカトリック円山教会でも、毎週土曜日に英語のミサをします。
色々な国から、観光客が自分の心のケアのために、カトリック円山教会を探して参加します。
これからお二人の身体のケアだけではなく、心のケアについても注意してください。
そのために、イエス様が紹介された七つの秘跡が、健康な魂を保つために必要です。
二人は、今日洗礼、御聖体、堅信を受けます。
皆さんの将来、受けるべき秘跡は、赦しの秘跡と病者の秘跡です。
お二人は今日聖土曜日に洗礼を受けることは素晴らしい時です。
今日の典礼は、1965年くらいに作られました。
今晩の典礼に4つのパートがあります。
火・言葉・水・食べ物です。
火は今晩の典礼が始まった時に、照らしました。
覚えていますか?
最初にお御堂は暗くなりました。
その意味は、イエス様が生まれる前の社会です。
人々が悪魔の誘惑を通して迷っていました。
どこに行こうか何をしようかわからなかったです。
しかし、イエス様は私たちを暗闇から解放するために、世の光として神様に遣わされました。
この高いろうそくはイエス様のしるしです。
それを説明するために、今晩長い聖書の朗読が沢山ありました。
それは私たち人間の、救いの歴史を説明するためでした。
最終章は、イエス様の御復活についての福音を読みました。
イエス様の御復活のお陰で、私たちも御復活します。
そして、イエス様のお陰で、天国の玄関の門がもう一度開かれました。
洗礼を受けた人々には入国のチケットが準備してあります。
そのために今晩の聖水を祝福しました。
日本の信徒は、悪魔を退けるために塩を使います。
カトリック教会の伝統は聖水です。
ですから、これからはその聖水を使って、お二人の魂を清めて、同時にカトリック教会のメンバーになる行事です。
今日最後の部分は、イエス様の最後の晩餐を再び行います。
私たちがイエス様の御体(パン)と御血(葡萄酒)を身体に頂けば、イエス様は私たちと共におられます。
それによって、私たち「クリスチャン」といいます。
「クリスチャン」の意味は「小さなイエス様」ということです。
やはり私たちクリスチャン信者はイエス様の代表たちです。
それによって、私たちも彼と同じような、勇気づける言葉、愛の業と、悪魔を退ける力を表すべきです。
どうぞこれから頑張ってください。
私たちはお二人が新しく家族の一員として来てくださりとてもうれしいです。

これからも一緒にもっと愛いっぱいの優しい日本のために祈りながら、神様に賛美しましょう。




2018年3月29日木曜日

聖木曜日

出エジプト記(出エジプト12・1-8、11-14)
使徒パウロのコリントの教会への手紙(一コリント11・23-26)
ヨハネによる福音(ヨハネ13・1-15)


皆さん、こんばんは。
忙しい中イエス様の最後の晩餐の記念日にお集まりくださりありがとうございます。
日本もアメリカも同じように、子供時代から母親たちは、私たちに食事の前に「手を洗ってください」と言われたでしょう。
それは本当に、良い習慣と健康のためですね。
その背景で、どうしてイエス様が足を洗いましょうといったでしょうか?
足で食事を食べないでしょう。
その答えは少し歴史的なことです。
2000年前のエルサレムの町は、石畳の道でした。
しかし、美術館の絵を見てみると、その時代はまだ靴下がない時代だったようです。
ですから、足が汚れることがありました。
余裕がある家では、しもべによって、家に入る前のお客さんたちの足を洗ったり、香油を塗ったそうです。
今晩、聖木曜日のイエス様の足を洗う行いは、少しわかりづらいことがあります。
なぜなら、家のしもべが弟子たち、イエス様の足を玄関で洗ったと思います。
その上でイエス様は、家の中で2度目に弟子たちの足を洗ったようですね。
どうしてしょうか?
足は全ての動物にとって、大切な道具です。
人間だけ足が二つで、歩くことができます。
それは人間の特徴ですね。
聖木曜日でイエス様が弟子たちがイエス様の足を洗う行いを通して、人間の特別な美しさを再認識するためにしました。
もちろん、この行事は洗礼と関係があります。
もう一つの意味は、福音宣教のためです。
2000年前の人間にとって、移動手段は徒歩でした。
よって、足は大切な道具でした。
その聖木曜日で、イエス様はわかっていました。
最後の晩餐でした。
イエス様のメッセージを伝えるために、弟子たちのことを頼っていました。
本当にその行事は叙階式の一部です。
イザヤ預言者はこのことを527節に書きました。
「いかに美しいことか 山々を行き巡り、良い知らせを伝える者の足は」と記録されました。
現代の神父になる典礼に、司教様が助祭に手を祝福しますが、2000年前にイエス様が足を祝福しました。
イエス様の行事は出発式ですね。
現代のミサもこの足を祝福する行事と関係があります。
ミサが終わってから、神父の言う挨拶は「行きましょう。主と平和のうちに。」です。
それによって、私たちミサに参加する信者たちは、イエス様の弟子たちの任命式に似ているでしょう。
イエス様の御体と御血によって、彼の精神を受け、まだ神様を教えるために出発します。
この背景を通して学んだことは、聖木曜日の足を洗う式は、食事の前に手を洗う習慣に似ています。
手を洗うことは身体の健康のためです。
足を洗うことは魂の健康のためです。
手を洗うことはあまり恥ずかしい行事ではありませんが、足を洗うことは現代の私たちにとって、恥ずかしい気持ちになるかもしれません。
アメリカも日本も今日のミサのために、足を洗うボランティアを探すことは難しいです。
多分韓国だけ、この行事を簡単に行っています。
なぜなら昔から韓国人は習慣で、家に帰ってから手も足も洗います。
とにかく今日の福音の個所を通して、どのくらいイエス様が私たちの全身の健康に関心があるか学びます。
素晴らしいことですね。
どうぞ皆さん、私たちの独自の美しさに戻るために、イエス様の愛を通して足も全身も洗うことを求めましょう。
そして、その古い自分を捨てて、新しい自分になり、神様をわからない人々に、今日の最後の晩餐の記念日から出発しましょう。

2018年3月25日日曜日

受難の主日(枝の主日)

福音:マルコ11・1-10
第一朗読:イザヤ50・4-7
第二朗読:フィリピ2・6-11
マルコによる主イエス・キリストの受難:マルコ15・1-39


皆さん、おはようございます。
受難の日曜日は本当に特別な祝日です。
なぜなら、このイエス様の物語を通して、どんな方法で私たちの罪の生活から解放されたか、詳しく説明します。
イエス様が私たちの罪のために亡くなりました。
ですから、今日から御復活の日曜日まで、聖週間といいます。
どうぞ皆さん、目の前の週間の行事、聖木曜日、聖金曜日、聖土曜日、御復活の日曜日の典礼に参加しながら、イエス様の犠牲に感謝の気持ちを表しましょう。
今日の福音を読みながら、ちょっと文章的に違う雰囲気を感じるかもしれません。
新聞のイベントのように記されています。
実は受難の物語は、最初に書かれていました。
ですから、詳しく説明があります。
イエス様はこの聖週間のイベントを、いつどこで何をするかイエス様が計画しました。
まず、木の枝の使い方は深い伝統があります。
ダビデ王の詩編(9212節)の中で、ヤシの木は喜びの象徴です。
聖書に書いてありますが、ソロモンの素晴らしい神殿の壁に、このヤシの木の彫刻を飾りました。(列王記上629)
また新約聖書の中で、聖ヨハネの黙示録の中で、天国の国民は救い主を賛美するために、ヤシの枝で腕を振ったそうです。(ヨハネの黙示録79節)
私たちは喜びの気持ちを表すために夏にお花火を使うように昔のユダヤ信者たちがヤシの枝を使いました。
その背景で、福音の枝の行列は、将来のイエス様の勝利の姿を預言します。
ロバに乗ることは労働者の動物でした。
イエス様がロバに乗っている意味は、彼は神様の労働者としてこの世に来たというメッセージを伝えます。
これは救い主の仕事です。
当時の王様たちや、ローマ帝国のリーダー達は普通、立派な馬に乗りました。
彼らのメッセージは、人々から褒めたたえられることを望みました。
イエス様は、マルコによる福音1045節に彼の精神を発表しました。
「人の子は仕えられるためではなく仕えるために来ました。」と言いました。
素晴らしい精神です。
1200年後に、聖フランシスコは、そのイエス様の精神を黙想しながら、自分の祈りの文書を書きました。
このイエス様の精神は、また、聖木曜日の最後の晩餐に2回同じメッセージが出てきます。
一つ目は、イエス様は直接、弟子たちの足を洗う式を通して示します。
二つ目は、過ぎ越し祭りのメニューの変化を通して示します。
パンはイエス様の身体、葡萄酒はイエス様の血の印として配りました。
もちろんその捧げものは、明日、聖金曜日の十字架上で自分の身体と魂を捧げる物の印です。
ですから、私たちは、毎回のミサに来るときに、カトリック円山教会のお御堂の訪問は、ゴルゴタの訪問と同じです。
素晴らしいことです。
受難の日曜日の長い福音から、何を学ぶでしょうか?
やはり、一年の中で今日だけ一般信者たちは福音を読みます。
この意味は、私たち皆この物語の中で、役割があると教えるためです。
寂しい考えですが、本当に私たちの罪を通して、イエス様がこの酷い受難の運命を受けました。
私たちの罪がイエス様の十字架の重さをより重くしています。
今日の福音の中で、沢山の人物(キャラクター)が出てきます。
その中で、イエス様の足に香油を塗った女性、ユダ、聖ペトロ、寝ている弟子たち、大祭司、ピラト、軍人たち、キレネのシモン、マグダラのマリア、母マリア様、アリマタヤのヨセフなどです。
皆さん、この人物の中で、あなたは誰に似ていますか?
母親マリア様以外の人々は罪人でした。
私たちも日々の罪は、イエス様の受難に加担しています。
私たちは、2000前の人々よりも、私たちは、はっきりイエス様の救い主としての貢献を理解できますが、時々罪の失敗をします。
イエス様は私たちの模範です。
彼は本当に愛の溢れる男性でした。(Man of Love)
私たちが罪を犯したときは、自分の我がままの楽しみのためです。
それはイエス様の精神ではないですね。
どうぞ皆さん、来週まで毎日、キリスト教信者であることを、愛の業を通して貢献しましょう。
最後に、このポイントを忘れないように一緒に聖フランシスコの平和の祈りを唱えましょう。

2018.03.25 今週のお知らせ

325日(日)
枝の主日
1000
主日ミサ
1100
侍者練習会
1100
聖堂清掃
1130
運営委員会

福祉納豆販売
1400
中央ブロック会議

★今週の予定★(掲示板などで再確認してください)

3
26
(月)
0615
ミサ

27
(火)
0615
0900
1100
ミサ
駐車場・銀杏剪定(造園業者)高所作業車にて実施
聖香油ミサ/北1条教会

28
(水)
0615
ミサ
 
29
(木)
0700
1830   
ミサ/聖心会
主の晩餐の夕べ/洗足式

30
(金)
1000
1830

金曜作業G
受難の祭儀/十字架の崇敬
(聖地のための献金)

31
(土)

1000
1830

教会清掃/G
復活徹夜祭




4

1
(日)


1000
1100


主日ミサ(復活の主日)
ご復活のお祝いパーティ


2018年3月18日日曜日

四旬節第5主日

第一朗読:エレミヤ31・31-34
第二朗読:ヘブライ5・7-9
福音:ヨハネ12・20-33

おはようございます。
欧米の歴史の中でギリシャ人のソクラテス(紀元前470399年)は、もっとも知恵のたくさんある哲学者でした。
彼が、当時のギリシャ国民に幸せの生活のために自分の命を深く考えて下さい、と教えました。
それは生きがいがなければ幸せな生活は出来ないというものでした。
彼は、美徳の倫理を教えてました。
残念ながら当時の政治家と宗教リーダーたちが彼の考え方はギリシャの精神と反対だと感じて、国の反逆者として裁判にかけて、毒を飲む死刑の宣告を下しました。
彼の弟子たちと家族はこの宣告を変えたいと運動を始めようとしましましたが、彼がそのことを断りました。
実は、毒を飲まず、故郷のギリシャからでて、生き残ることも出来ましたが、その提案も断りました。
ついにソクラテスは弟子たちと家族の目の前で毒を飲んで亡くなりました。
その後ソクラテスは犯罪者ではなく、真理のための殉教者と国民が言いました。
今でもソクラテスの説教などはとても大切な哲学的な財産です。
本当にソクラテスの人格とイエス様の人格は似ているところが多いです。
その背景で今日の福音の箇所を考えましょう。
この箇所はヨハネにある福音だけに記録されています。
先程ギリシャ人について哲学者の背景を言いましたのでギリシャ人の心が少しわかると思います。
ギリシャ人たちは霊的・哲学的な生活がとても大切です。
自分の命の目的について信じていました。
その箇所でギリシャから巡礼者たちはエルサレムの祭りに来たことは、自分の国でソクラテスのような人物がいなかった証拠です。
そのためイエス様の有名なので直接彼に会うためにギリシャから来たそうです。
この箇所のお陰で2000年前にどのくらいイエス様に栄光があったか学べます。
やはりギリシャ人は心が広く考え方が柔軟なのでイエス様の精神と宗教の考え方を喜んで聞きました。
この箇所の中でイエス様も自分の死について予言しています。
多分、十字架死刑を通して亡くなることを感じていました。
しかし、イエス様は死が怖くなかった。
イエス様にとってその十字架の死刑は生きがいだと理解しました。
今日の個所の中で不思議な事があります。
天のお父様もフレーズを言います。
28節で天のお父様は、「わたしは既に栄光を現した。再び栄光を現そう。」この言葉は、イエス様の考えを認めるため、また励ますために天のお父様が言ったでしょう。
みなさん、私たちが愛するイエス様の死は残念なことです。
しかし、彼の死を迎えるアプローチが私たちに素晴らしい模範を与えました。
それは、私たち一人一人の命は神様から頂いた召命です。
私たちはこの召命を果たす必要があります。
みなさん、このイエス様の素晴らしい精神から思い浮かべて明日19日の聖ヨセフの祝日について少し話したいと思います。
やはりマリア様はイエス様の第一の弟子でした。
聖ヨセフはイエス様の第二の弟子だったでしょう。
本当に聖ヨセフにお陰でマリア様とイエス様は生き残りました。
この歴史を覚えていますか。
マリア様は結婚前に不思議と妊娠しましたね。
当時の文化の中で罪だったそうです。
死刑を宣告するべきことでした。
ヨセフ様は深くマリア様を愛していましたのでそのようなことをしてほしくはなかったのです。
夢の中で神様がヨセフにメッセージを送りました。
それは「マリア様と結婚しなさい。」という内容です。
ヨセフは神様の願いに従ってイエス様がベツレヘムの馬小屋の中で元気に生まれました。
さらに、ヨセフは夢の中で「エジプトに逃げなさい。ヘロデ王様がイエス様を殺そうとしているからです。」という神様の声をききました。
また、神様の願いに従ってマリア様とイエス様を連れてエジプトに行きました。
その後、何年間か移民生活を送りました。
そして、3回目の夢を見ました。
その時は、イエス様は10歳くらいだったと思います。
「マリア様と少年のイエス様を連れて故郷に戻ってください。」という声を聞きました。
そして、みなさんご存知の通り、聖ヨセフはナザレに帰ってイエス様に大工の仕事を教えました。
もう一つの聖ヨセフについてイエス様が12歳の時にエルサレムの過越し祭りを祝うためにマリア様とイエス様を連れてきました。
その時に、イエス様は迷子になってしまいました。
そして、聖ヨセフとマリア様は一生懸命探しました。
マリア様はヨセフ様の気持ちを説明しています。
「御覧なさい。お父さんもわたしも心配して探していたのです。」
この内容からどのくらい聖ヨセフが継子イエス様を愛したかがわかります。
この聖ヨセフの背景を通して、彼の神様への信仰について学ぶことができます。
また、神様の言葉を実践した人であることがわかります。
彼は忠実な夫であり忠実な養父でした。
多分、聖ヨセフの模範は継子イエス様に影響を与えたでしょう。
特に神様の計画に協力するために模範でした。
聖ヨセフは素晴らしい人物です。
四旬節の中で聖ヨセフとイエス様が私たちの生きがいのために素晴らしい模範を示しています。
二人もお祈りの生活を信じて神様からのメッセージを喜んで受けました。
そして、二人とも自分の家族だけではなく、すべての人類を助けるために自分にとって犠牲があったとしても愛の業を行いました。
ヨセフ様の生きがいはマリア様と継子イエス様に優しいお父さんとして二人を見守りました。
イエス様の場合は、すべての人類を救うためにひどい十字架の刑を我慢することでした。

どうぞみなさん、残りの四旬節で、祈りの生活の中で愛の業をもって頑張りましょう。

2018.03.18 今週のお知らせ

318日(日)
四旬節第5主日
0930
教会学校
1100
病者の塗油
0940
十字架の道行

福祉コーヒー
1000
主日ミサ/教会学校修了式

典礼・福祉・施設管理部会

★今週の予定★(掲示板などで再確認してください)

3
19
(月)
0615
ミサ

20
(火)
0615
ミサ

(水)
0615
0900
ミサ
業者清掃
 
22
(木)
1000
1000
1200
養成クラス
キルトの会
聖堂清掃

23
(金)
1000
1830
金曜作業G
ミサ(冨来師)

24
(土)
1830

English Mass


25
(日)
1000
1100


1130
1400
主日ミサ(受難の主日)
福祉納豆販売
侍者練習会
聖堂清掃
運営委員会
中央ブロック会議