2018年6月24日日曜日

洗礼者聖ヨハネの誕生日

第一朗読:イザヤ49・1-6
第二朗読:使徒言行録13・22-26
福音:ルカ1・57-66、80


皆さん、おはようございます。
今日は洗礼者ヨハネの誕生日です。
彼はカトリック教会の歴史の中で大切な人物です。
カトリック典礼カレンダーの中で三人の誕生日だけを祝います。
イエス様、マリア様、また洗礼者ヨハネです。
洗礼者ヨハネはイエス様の親戚です。
そのためにマリア様は親切に洗礼者ヨハネのお母さん、エリザベトが妊娠している時に訪問しました。
二人とも妊婦さんです。
しかし、カトリック教会の伝統として、エリザベトはマリア様より早く妊娠したので、洗礼者ヨハネはイエス様より6か月前に生まれたそうです。
その背景でカトリック教会は、2000年前から洗礼者ヨハネの誕生日はイエス様より6か月前に記録されています。
イエス様は1225日に生まれたので、洗礼者ヨハネはその6か月前の624日に生まれたことになります。
昔のイギリスでは洗礼者ヨハネの誕生日は、夏至のころと祝いました。
そして皆さん、ご存知でしょう。
シェイクスピアはこのイベントについて「夏の夜の夢」(Midsummers Night Dream)を書きました。
624日は昔のカレンダーで夏至でした。
そして1225日は冬至でした。
これは聖書と関係があります。
3世紀の聖アウグスティヌスは、自然について深い関心を持っていました。
彼は洗礼者ヨハネが言った言葉で「あの方は栄え、わたしは衰えねばならない」(ヨハネ330節)という内容を話し、自然のリズムは同じと示ししました。
624日からだんだんと暗くなるのが早くなり、1225日から徐々に明るくなることが早くなる法則について、表明しました。
その通りに福音の中で洗礼者ヨハネは、とても謙遜な人格を表します。
イエス様のもっと大切な役割を認めました。
彼の有名な言葉は「わたしよりも優れた方が、後から来られる。わたしは、かがんでその方の履物のひもを解く値打ちもない。」(マルコ17節)という部分です。
そしてイエス様も洗礼者ヨハネの役割について褒めたたえました。
イエス様が洗礼者ヨハネについて「はっきり言っておく。およそ女から生まれた者のうち、洗礼者ヨハネより偉大な者は現れなかった。」(マタイ1111節)と言っています。
このようなお互いをたたえる会話を聞いて、イエス様も洗礼者ヨハネも、お互いの救いの歴史の中で、お互いを尊重していますし、神様から頂いた別々な召命も認め合っています。
この二人の良い関係は私たちの現代の信者たちに対して、大きな模範だと思います。
皆さん今日の聖書からの朗読は、三つ、洗礼者ヨハネについての内容が出てきます。そしてこの中に、私たち一人一人にもメッセージが入っていると思います。
第一朗読はイザヤからのメッセージです。
この内容は神様が特別な目的のために、洗礼者ヨハネがイエス様の道を準備するための役割のために生まれたそうです。
また、洗礼者ヨハネが生まれる前に名前がわかったそうです。
このイザヤの予言は何百年後かに実現しました。洗礼者ヨハネのお父さんザカリアは、エルサレムの神殿のための神父でした。
神殿の中で仕事をしていると天使ガブリエルが現れて「あなたに子供が授かりますがヨハネと名付けて下さい」と言いました。
皆さん、私たち一人一人が生まれてきたことは偶然ではありません。
私たちも一人一人が神様の救いのプランの中で役割があります。
これを信じましょう。
第二朗読の中で聖パウロが登場します。
彼が人間の救いの歴史について話をします。
彼にとって「人間の救いの歴史は、期間が長い素晴らしいプロジェクト」と言いました。
それは旧約聖書の内容でした。その中でダビデ王は、最も大切な役割があったそうです。
しかし、聖パウロは、現代に生きている私たちも神様のプランの中で役割があるそうです。
どうですか皆さん?あなたの立場から、神様の救いの業を宣教するために何ができるでしょうか?
ついに福音の中で洗礼者ヨハネの若い時の私生活について少し触れてあります。
書いてありますが、「この子には主の力が及んでいたのである。…幼子は身も心も健やかに育ちイスラエルの人人の前に現れるまで荒れ野にいた。」(ルカ166節、80節)とあります。
ヨハネはイエス様の役割を紹介するために、国民の洗礼式をしました。
そして、誰かがイエス様を紹介しました。
また残念ながら、ヘロデ王はおかしな結婚について非難の言葉を伝えたので、殉教になりました。
私たち現代の信者は洗礼者ヨハネから三つのことを学ぶことができます。
一つ目は、私たちも神様の目的のためにこの世に生まれたことです。
二つ目は、私たちもダビデ王と同じように救いの歴史の中で大切な役割があることです。
三つめは、洗礼者ヨハネと同じように自分の立場からいつも真理について話すべきです。
真理は神様の愛の召命です。
神様を愛して、自分を愛して、隣人を愛しなさいという人間のためのプランです。
最後に私が皆さんに、洗礼者ヨハネの誕生日を祝うために考えがあります。
洗礼者ヨハネもイエス様も、神様の仕事の準備をするために砂漠で祈りました。
砂漠の中で学んだことは「人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる。」(マタイ44節)。
私たちが愛するイエス様と洗礼者ヨハネの模範を学びましょう。
それは私たちが神様から頂いた召命をもっとよく理解するために、一年の中で時々、生活の中に「砂漠の日」(黙想の日)を作りましょう。
そうすれば神様に祈ることができますし、神様の声を聞くことができます。
洗礼者ヨハネ、誕生日おめでとうございます。

2018.06.24 今週のお知らせ

624日(日)
主日ミサ (ケン師)
0930
教会学校
1100
福祉納豆販売
1000
1100
主日ミサ(加藤師)
聖堂清掃
1200
1500
運営委員会
中央ブロック会議




★今週の予定★(掲示板などで再確認してください)

6
25
(月)
0615
1000
ミサ
絵手紙

26
(火)



27
(水)
1000
筆字の会
 
28
(木)
1000
1000
1200
養成クラス
キルトの会
聖堂清掃

29
(金)
1000
1830
金曜作業グループ
ミサ

30
(土)
0700
1000
1830
ミサ(入門クラス)
教会清掃/5G
English Mass
  
1
(日)

0930
1000
1100
1200


教会学校
主日ミサ(ケン師)
福祉コーヒー
円山墓地草刈


2018年6月17日日曜日

年間第11主日

第一朗読:エゼキエル17・22-24
第二朗読:二コリント5・6-10
福音:マルコ4・26-34


皆さん、「父の日」におめでとうございます。
お父さんの皆さんに感謝します。
実は、「父の日」は教会の祝日ではありませんが、愛の感謝の日なのでカトリック教会の価値観と同じです。
特に、私たち信者たちはお父様と息子の関係を思い出すと、天のお父様と息子のイエス様のことを思いますね。
今日のミサのプリントの表紙に彼らの絵を二つつけました。
彼らの愛の気持ちから、私たちは自分のお父さんのことを思い出します。
私のお父さんは3年ちょっと前に亡くなりました。
まだ寂しい気持ちが残っています。
なぜなら彼は、私に大きな影響を与えたからです。
たくさんのエピソードがありますが、今年の父の日のために2つ話したいです。
1つ目は、小学校の時に52年前、夏休みに父が私たち家族の楽しみと教育のためにドライブの旅に連れて行きました。
その時ニューヨークまで5時間車で旅をしました。
その時代には長い旅でした。
目的は、世界博覧会に参加するためでした。
特にそのイベントのスターは、ミケランジェロのピエタの像でした。
400年の歴史の中で、初めてバチカンから出て移動しました。
教皇様のパウロ6世もこのイベントに参加しました。
ピエタはイタリアから船に乗ってニューヨークの湾に到着しました。
そして、特別な展示館で見せられました。
その時に初めてベルトコンベアーを見て私はびっくりしました。
たくさんの人々がピエタを見たいから、止まらないで乗りました。
ピエタを見た人はみんな感動して泣いていました。
そして、家に戻って友達にその話をしました。
やはり父が、私たちの教育のためにその素晴らしい美術品を見るために長い旅を頑張りました。
今でもニューヨークでそのイベントの場所には公園が残っています。
私はメリノールの本部に行った時に、その場所を歩いて父と母のことを懐かしく思い出します。
父は私たちを愛していましたので、楽しい人生を過ごせるように自分のエネルギーと時間を私たちのために使いました。
2つ目は、父から運転を教えてもらったことです。
アメリカでは、日本と違って、運転はほとんど家族から習います。
そして、アメリカはバスや地下鉄が少ないので、車がとても大切です。
だいたいみんな、高校生の時に運転を勉強します。
私は運転を早く覚えました。
父にとって一番よい学生だったそうです。よかったね。
父が会社から戻って食事の後に1時間くらい練習しました。
免許を取ってから、私は家族の運転手になりました。
やはり父が私を信頼しましたので、いい気持ちでした。
1回家族の夏の旅行の時にも、最初は父が運転しましたが、途中から疲れたので、私と運転を交代しました。
信じられないことですけど、走りながら2つのタイヤがパンクしました。
2つとも新しいタイヤでしたが、欠陥品でした。
しかし、事故にならないで、道路の横に車を止めることができました。
父は車が止まるまで寝ていましたが、家族は叫んで、母は泣きました。
本当に神様が助けてくれました。
その出来事以外、私の運転の歴史の中で大きな事故はありません。
神に感謝。
振り返ると、私は父から人生のために自信と信仰をいただきました。
本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
今日のイエス様の例えは、からしの種の話です。
今日は父の日で、そのからしは愛の種と思います。
なぜなら、からしの種はとても小さいので、あまり見えませんが、土に植えると大きく成長します。
それは愛を実践することですね。
私と父の歴史を考えると、イエス様とお父様の歴史を思い出します。
父は私に色々なことを教えました。
イエス様もお父様も、祈りを通して救い主の役割を学びました。
やはり、私たち子供たちはお父さんから愛の種を頂きます。
そして、自分の心に植えて育てます。
ですから今日の父の日に、私たちの家族としてのお父さん、おじいちゃんだけではなく、今日イエス様の天のお父様にも感謝いたしましょう。
天のお父様は愛の源だからです。
私たち子供たちが、お父さんたちに感謝を表すために、一番良い行いは彼らと同じように、愛する人になることです。
6月はイエス様の御心の月ですね。
この祝日は本当に天のお父様が嬉しいイベントだと思います。
自分の息子イエス様を誇ります。
私たちの命の生きがいは愛です。
イエス様が、私たちも彼と同じように幸せな人生を過ごすために、愛の成長の方法を教えています。
どうぞ皆さん、愛のために生活をしていきましょう。
お父さんの皆さん、おじいさんの皆さん、私たち子供たちを愛して下さりありがとうございます。
私たちも皆さんを愛します。

2018.06.17 今週のお知らせ

617日(日)
主日ミサ (ケン師)
0930
教会学校
1100
病者の塗油
1000

主日ミサ(ケン師)
        子どもミサ
1100
1130
典礼・広報部会
手話サークル(青年会室)




★今週の予定★(掲示板などで再確認してください)

6
18
(月)
0615
ミサ

19
(火)
0615
ミサ

20
(水)
0615
0900
ミサ
業者清掃
 
21
(木)
0700
1000
ミサ(聖心会)
入門クラス

22
(金)
1000
1830
金曜作業グループ
ミサ

23
(土)
0700
1830
ミサ(入門クラス)
English Mass

24
(日)
0930
1000
1100
1100
1200
1500
教会学校
主日ミサ(加藤師)
聖堂清掃
福祉納豆販売
運営委員会
中央ブロック会議

2018年6月10日日曜日

年間第10主日

第一朗読:創世記3・9-15
第二朗読:二コリント4・13~5・1
福音:マルコ3・20-35


皆さん、おはようございます。
私は、今日の第一朗読と福音は深い感謝の気持ちを持っています。
なぜなら私の教えている専門分野に関係があります。
私の専門は医療と倫理です。
天使大学で看護師、管理栄養士、助産師たちに倫理を教えています。
倫理は医療専門職のたまごにとって、基礎的な勉強です。
有名な看護師ナイチンゲールは、看護を学ぶ学生たちにとって、とても大切だと言いました。
もちろんナイチンゲールは150年前のことなので、いまの時代とは違いますが、価値観も違いました。
当時の看護師たちは、良いマナーとエチケットが最も大切な倫理の内容でした。
今の世界でまだ女性の地位が確立されてはいません。
ナイチンゲールの時代はもっとひどい雰囲気でした。
医者たちが良い看護師の条件として、医者の思い通りに動く看護師を求めていました。
もちろん現代の良い看護師は、医者の奴隷ではなく、自分の知識と技術を持ちながら、医者と良いチームワークを持ち、患者さんの回復のために一生懸命頑張ります。
医者、看護師、助産師、管理栄養士などの医療の専門職は、正しい意思決定するために、それぞれ別々に倫理綱領があります。
例えば、任された全ての患者さんたちを、平等にケアをすることです。
もちろん日本の国民だけではなく、外国人も入院すれば平等にケアされるべきです。
残念ながらこの精神は、70年前の戦争の後で生まれた倫理のアプローチです。
その時、色々な倫理的である「世界人権宣言(1948年)」などです。
今年は世界人権宣言の70周年記念日です。
とても偶然ですが今日の福音を通してイエス様の倫理の精神を表します。
彼は「わたしの天の父の御心を行う人が、わたしの兄弟、姉妹、また母である。」ということを信じていたので、人間は平等なものと考えていました。
イエス様の倫理的な精神は、旧約聖書の創世記の中の「アダムイヴの失敗について」非難しています。
なぜならアダムとイヴは天のお父様の精神を通して生活していなかったからです。
アダムとイヴは神様の計画ではなく、自分の計画に従いました。
その精神によってアダムとイヴは恥ずかしい気持ちになったり、神様の存在から離れていきました。
現代の医療の世界の中で、医者か看護師がミスをすることに似ています。
アダムとイヴが二人とも意思決定の失敗を、自分ではないものになすりつけました。
私たちカトリック信者には、倫理的な判断をするために、基礎的なルールはモーゼから頂いた「十戒」と、イエス様から頂いた「愛」の掟です。
考えると、イエス様の愛の掟の内容は、すべての人間に対して平等にケアする義務があります。
なぜならイエス様の愛の掟は、「神様を愛して周りの人々を自分のように愛しなさい」という内容です。
どうぞ皆さん、この尊い倫理の精神を寄り道しないで頑張りましょう。
悪魔は私たちの心をわがままの道へと導きたいです。
その誘惑の道に入らないように、悪魔の声を聞かないようにして、祈りを通して神様の声を聞きましょう。
最後に皆さん、おとといのイエス様の御心の祝日について少し話したいです。
イエス様の御心は、彼から私たちへの愛の精神を表します。
もちろんそれは開かれた心です。
昨日のマリア様の御心の祝日に似ています。
イエス様とマリア様の心の状態は、私たち信者たちのための模範です。
私たちは忙しくても、迎える人々を平等に受け入れることがイエス様と、マリア様の倫理の精神を実践することです。
社会は商売のために人々へより良いもので誘惑します。
車、服、スマートフォンなどがあります。
もちろんこのような発見は人間の質を高めるために大切でした。
しかし、人間の救いは、物質的なものを通しては出来ません。
救いは神様からただの贈り物です。
それは、イエス様の愛を信じる内容です。
そして、イエス様の愛を見習う課題です。
今日の第一朗読の中で悪魔がデビューしました。
彼はまだまだ、ひそひそ声で私たちが誘惑に落ちるように頑張っています。
その誘惑に落ちないように、毎日イエス様の御心に従って、愛のために生きましょう。