第二朗読:二コリント4・13~5・1
福音:マルコ3・20-35
皆さん、おはようございます。
私は、今日の第一朗読と福音は深い感謝の気持ちを持っています。
なぜなら私の教えている専門分野に関係があります。
私の専門は医療と倫理です。
天使大学で看護師、管理栄養士、助産師たちに倫理を教えています。
倫理は医療専門職のたまごにとって、基礎的な勉強です。
有名な看護師ナイチンゲールは、看護を学ぶ学生たちにとって、とても大切だと言いました。
もちろんナイチンゲールは150年前のことなので、いまの時代とは違いますが、価値観も違いました。
当時の看護師たちは、良いマナーとエチケットが最も大切な倫理の内容でした。
今の世界でまだ女性の地位が確立されてはいません。
ナイチンゲールの時代はもっとひどい雰囲気でした。
医者たちが良い看護師の条件として、医者の思い通りに動く看護師を求めていました。
もちろん現代の良い看護師は、医者の奴隷ではなく、自分の知識と技術を持ちながら、医者と良いチームワークを持ち、患者さんの回復のために一生懸命頑張ります。
医者、看護師、助産師、管理栄養士などの医療の専門職は、正しい意思決定するために、それぞれ別々に倫理綱領があります。
例えば、任された全ての患者さんたちを、平等にケアをすることです。
もちろん日本の国民だけではなく、外国人も入院すれば平等にケアされるべきです。
残念ながらこの精神は、70年前の戦争の後で生まれた倫理のアプローチです。
その時、色々な倫理的である「世界人権宣言(1948年)」などです。
今年は世界人権宣言の70周年記念日です。
とても偶然ですが今日の福音を通してイエス様の倫理の精神を表します。
彼は「わたしの天の父の御心を行う人が、わたしの兄弟、姉妹、また母である。」ということを信じていたので、人間は平等なものと考えていました。
イエス様の倫理的な精神は、旧約聖書の創世記の中の「アダムイヴの失敗について」非難しています。
なぜならアダムとイヴは天のお父様の精神を通して生活していなかったからです。
アダムとイヴは神様の計画ではなく、自分の計画に従いました。
その精神によってアダムとイヴは恥ずかしい気持ちになったり、神様の存在から離れていきました。
現代の医療の世界の中で、医者か看護師がミスをすることに似ています。
アダムとイヴが二人とも意思決定の失敗を、自分ではないものになすりつけました。
私たちカトリック信者には、倫理的な判断をするために、基礎的なルールはモーゼから頂いた「十戒」と、イエス様から頂いた「愛」の掟です。
考えると、イエス様の愛の掟の内容は、すべての人間に対して平等にケアする義務があります。
なぜならイエス様の愛の掟は、「神様を愛して周りの人々を自分のように愛しなさい」という内容です。
どうぞ皆さん、この尊い倫理の精神を寄り道しないで頑張りましょう。
悪魔は私たちの心をわがままの道へと導きたいです。
その誘惑の道に入らないように、悪魔の声を聞かないようにして、祈りを通して神様の声を聞きましょう。
最後に皆さん、おとといのイエス様の御心の祝日について少し話したいです。
イエス様の御心は、彼から私たちへの愛の精神を表します。
もちろんそれは開かれた心です。
昨日のマリア様の御心の祝日に似ています。
イエス様とマリア様の心の状態は、私たち信者たちのための模範です。
私たちは忙しくても、迎える人々を平等に受け入れることがイエス様と、マリア様の倫理の精神を実践することです。
社会は商売のために人々へより良いもので誘惑します。
車、服、スマートフォンなどがあります。
もちろんこのような発見は人間の質を高めるために大切でした。
しかし、人間の救いは、物質的なものを通しては出来ません。
救いは神様からただの贈り物です。
それは、イエス様の愛を信じる内容です。
そして、イエス様の愛を見習う課題です。
今日の第一朗読の中で悪魔がデビューしました。
彼はまだまだ、ひそひそ声で私たちが誘惑に落ちるように頑張っています。
その誘惑に落ちないように、毎日イエス様の御心に従って、愛のために生きましょう。