第二朗読:一コリント9・16-19、22-23
福音:マルコ1・29-39
皆さん、おはようございます。
四年前に天使の学長は私に、山の手にいる北海道メディカルセンターの専門学校の看護学生たちに、医療英語を教えて下さいと頼みました。
それから、毎週一回専門学校に行って教えています。
私は英語の先生の資格はありませんが、ネイティヴスピーカーなので英語が上手です。
また、看護師なので、医療の専門用語が分かります。
しかし私は、この授業の準備をしながら学んだことは、相手とコミュニケーションは、93%は言葉がない会話です。
そのことがわかってから、看護師のボディーランゲージ、ジェスチャー、態度についての内容が、医療英語の中の授業で教えています。
私達人間は相手の服装、顔を通して、自分の価値観から判断をします。
しかし、時々全然間違えていまう事があります。
何年か前にフランシスコ教皇様になった時に、その誤解がありました。
イタリア人のヴェネシオ・リーバが教皇様に会うために、バチカンのイベントに参加をしたいと思いましたが、教皇様の警備の人々がスイス衛兵をブロックしました。
しかし、その会場で彼は大きな声で「パパ様!!」呼びました。
そして、運よく教皇様がこの声を聞いて会うよう言いました。
話を聞くと、その人は生まれてから酷い皮膚の病気でした。
それは感染する恐れはありませんでした。
教皇様が、彼の傷をキスして、スイスのガードに、「この人をイベントの優先席に通してください」と言いました。
周りの人々は皆拍手をしました。
その日から、ヴェネシオ・リーバはイタリアで少しスターになりました。
教皇様が行ったことは、神様の人間のための愛を示しました。
神様は、私達の身体の自分だけではなく、スピリチュアル的な自分も見ています。
神様のピュアな心には、差別はありません。
必ず、まず人間を愛します。
それは私達の課題とイエス様、また沢山の聖人達の模範から、学んだことです。
今日の三つの朗読は、その重要なポイントを教えています。
第一朗読の中で、ヨブが登場します。
ヨブは先程話し出した、ヴェネシオ・リーバの立場に似ています。
ヨブも自分で何も悪いことをしないで、酷い病気にかかりました。
神様への信仰、希望、愛を失わないように、悪魔の誘惑を退けました。
ついに、神様の哀れみを回復しました。
神様の存在を感じました。
やはり、ヴェネシオ・リーバが教皇様に会う体験に似ていますね。
第二朗読の中では、聖パウロが、自分の福音宣教のスタイルについて話しています。
それは人々を外見を通して判断をしないで、一人一人の内面のスピリチュアルを見ます。
その方法で、彼が会う人々は全て平等です。
差別はありません。
福音には、ペトロが、イエス様に自分の家で食事をするように招きました。
そして、イエス様が了承して行くと、残念ながら姑が病気になっていました。
その時、ペトロはイエス様に姑は病気ですと言いながら案内しました。
イエス様は、「そうですか、食事の前に彼女を祝福しましょう」と言いました。
そして、イエス様の祝福からすぐに、ペトロの姑の病気は治り、もてなすことができました。
この箇所の中で、スターの信者は、ペトロです。
なぜなら、彼はイエス様に姑を会わせたからです。
私は、この箇所を読んで、私達カトリック円山教会の病者訪問の運動の大切さを思い出しました。
私は、病者の秘跡を授けた信者達はすぐに治ったことは目の前で見たことはありませんが、瞬間的に神様の栄光を患者さんのためと、家族の為と、病者のチームの為にも照らす体験はあります。
本当に素晴らしいことが沢山ありました。
ですから、皆さん、今日の第一朗読と福音から学んだことは病者たちを苦しみから解放する為に、私達の愛と神様の憐れみ、病者の秘跡を伝えることができます。
ご遠慮なく病気になったら自分と家族、親戚を紹介してください。
私と病者のチームは喜んで行きます。
それも、イエス様の仕事です。
福音宣教の行事です。
最後に明日の祝日、日本二十六聖人殉教者の祝日について、一言言いたいと思います。
この偉い二十六人が私達に教えたいことは、内面が見えないことですね。
彼らは素晴らしい信仰、希望、愛の心を持っていました。
残念ながら、その時代、政治的な雰囲気の中で殉教になりましたが、間違えないで彼らの苦しみも福音宣教のために役立ちました。
先程話した皮膚の病気のヴェネシオ・リーバの生き方が教皇様に素晴らしい衝撃を与えました。
それと同じように日本二十六聖人殉教者達も死刑執行人と当時の政治家達も家族のためにも素晴らしい模範を表しました。
彼らの犠牲のお陰で、日本ではカトリック信仰が今でも元気です。
どうぞ皆さん、この素晴らしい二十六人に感謝する為に私達の信仰、希望、愛をプライドを持って、社会貢献のために役立てましょう。