2017年4月16日日曜日

復活の主日

第一朗読:使徒言行録10・34a、37-43
第二朗読:コロサイ3・1-4
福音:ヨハネ20・1-9

皆さん、御復活おめでとうございます。
ハッピーイースター!!!
今朝、キリスト教信者になるための基準について話したいと思います。
普通の就職の面接のときに、就職希望者は、自分の得意なことについて話します。
例えば、自分の経歴や、特技、人格、賞をもらったことなどを面接官に話します。
それは、現代の社会の価値です。
やはり、人が過去の生活を上手に送ることができれば、将来に向けてもっと上手に暮らしていけると思います。
このような背景があれば、会社が喜んで採用します。
それと同じように、素晴らしいカトリック信者になるために、何の基準が必要でしょうか?
考えましょう。
祈り上手な人、聖書を一読んだ人、社会にボランティアを良くする人、伴奏が上手に出来る人、美味しい料理が出来る人など特徴を持っている志願者が、素晴らしい信者になるでしょうか?
このアプローチでは教会の為の新しい信者になることにとって足りないと思います。
例えば、イエス様が一番模範的なカトリック信者になったら、彼の人生の物語からもう一つ大切な特徴を表します。
それは、イエス様の弱さについてです。
その意味は、イエス様が弱いので自分の人生で苦しみを避けることができませんでした。
またイエス様が、3年間福音宣教を頑張りましたが、失敗に終わりました。
そのイエス様の弱さを通して、罪びとの心を良く感じましたので、彼らを救うことができました。
やはり、強い人、何でも出来る人は、救いの必要さは理解しにくいです。
イエス様の受難の物語の中で、良い模範はユダです。
彼は、イエス様の素晴らしさが見えませんでしたので、裏切ってしまいました。
哲学の世界では、ソクラテスの死刑とイエス様の死刑を比較します。
二人は社会の宣告を通して死刑を受けました。
ソクラテスはヘムロックの毒を飲むべきでした。
なぜなら、彼の教えを通して、若い者たちの心が革命に傾きましたので、社会は心配しました。
有名な歴史的な事ですが、ソクラテスが弟子たちの前でその毒を飲みました。
弟子たちが、彼のために泣きました。
そして、ソクラテスも永遠の命について信じていましたので、怖がらずに毒を飲みました。
イエス様は違いました。
イエス様は亡くなる前にゲッセマネの庭で泣きながら、祈っている間に、弟子たちは疲れて寝てしまいました。
そして、裁判の時から十字架上で死ぬ時まで、弟子たちは怖くて自分のために逃げました。
イエス様は一人ぼっちでした。
母のマリア様、弟子ヨハネ、友人のマグダラのマリアだけ、イエス様を死ぬまで十字架の下で見守りました。
そして、イエス様は怖くて死ぬ前に天のお父様に叫びました。
比べて考えると、イエス様はソクラテスより死に対して弱かったです。
考えるとイエス様の人々への愛を通して苦しみから守ることができませんでした。
彼の人生の運命は、人間の苦しみを感じることでした。
そのために、イエス様が天のお父様の意志を満たすために、心を開いて私達の人間の憎しみ、暗闇、苦しみを感じるように頑張りました。
このイエス様の素晴らしい模範を思い出して、私が日本語学校で漢字の授業で忘れない漢字の説明は、「人間」でした。
それは、そのとき、ベルギーの淳心会の神父が「人間の漢字の意味は人が人々の間に住んでいることです。」と言いました。
振り返って考えるとイエス様は100%人間でした。
なぜなら、彼は人間の一番大変な事を喜んで感じたことです。
そのイエス様が、その態度で、人生を過ごしましたので、私達の人生の大変な事を良く理解しますから、天国から喜んで祈りを通して解放することが、助けを送ります。
その助けは、御復活の意味です。
イエス様の犠牲と御復活の神秘を通して暗闇の生活、希望のない生活、憎しみの生活に勝利しました。
どうぞ皆さん、自分の弱さを恥ずかしがらないでください。
その体験を通して、イエス様と似ていますから、天国から助けを頂きます。

それは、ハッピーイースターの挨拶の意味です。