第二朗読:一コリント1・3-9
福音:マルコ13・33-37
みなさん、おはようございます。
そして待降節いらっしゃいませ。
今日から新しい典礼カレンダーの1年が始まります。
今日からB年です。
B年の中で、マルコによる福音を読みます。
まず、マルコの重要な特徴を思い出しましょう。
初期のキリスト教会はイエス様が亡くなり天国に被昇天した後すぐ世界が終わると考えていました。
その考えでは、キリスト教信者の中でいろいろな問題がありました。
特に仕事をやめたキリスト教信者が多くいました。
祈りばかりしかしませんでした。
聖パウロは、信者になってからこの考えがわかり、励ますためにいろいろな手紙を書きました。
彼はテサロニケの手紙の中で「仕事をしない人は食べない」と書きました。
この世界はすぐ終わるという考えでは、福音を書かなくてもよいのではないか、お互いに話して伝えるだけでいいのではないかと人々は考えました。
マルコはイエス様に会ったことはありませんが、信者達の模範を通して、熱心な信者になりました。
彼が最初の福音を書きました。
それは西暦65年くらいだったそうです。
聖パウロはマルコの指導者でした。
聖マルコの福音は一番短い福音です。
マルコの福音はイエス様の教えより、イエス様の活動について書かれています。そしてマルコの重要なポイントはイエス様が素晴らしい奇跡を行いましたが、人々は救い主であることが理解できなかったと書いていることです。
彼の福音は最後のところだけで、イエス様の十字架上の苦しみを目撃した軍人が彼を見ながら、本当にこの人は神の子だ、と言いました。(15章39節)
マルコは聖パウロと旅をしました。
そしてローマまで行って、そこで福音を書いたそうです。
ですから彼の書き方はローマ人達の好きなスタイルだったようです。
マルコは聖パウロと聖ペトロの殉教の目撃者だったかもしれません。
その後ローマで信者達の心を励ますために、彼は聞いた話を福音として書きました。
今日の福音の箇所も世界の終わりについてです。
いつも待降節の時にイエス様が2000年前に生まれた誕生日を祝いながら、再び降臨する神秘も祝います。
私は大学の先生なので時々学生達は初期のキリスト教信者に似ていると感じます。
なぜなら、12月は学年の終わりに近づいている雰囲気があります。
1月に最後のテストと論文を出さなければいけません。
熱心な学生達は来年の授業に喜んで向かっています。
しかしあまり熱心ではない学生達は不安を感じています。
テストをクリアできるか心配しています。
やはり待降節の目的は私達の人生の中で一番大きな試験のための準備の時期です。
この4週間の中で私達に足りないことを完全にする期間です。
そのアイディアは、今日の第一朗読のイザヤ預言者の64章7節に書かれていました。
彼にとって神様のイメージは趣味で陶芸をする人です。
それは神様が私達の心を自分の恵と愛を通していつも新しく作りなおせることを表しています。
私は日本に来て紙の粘土を見つけたとき、このイザヤの考えを理解しました。
私も授業のために紙粘土を使います。
例えば、キリスト教学概論の授業のために遠藤周作の「沈黙」という本を読み、宿題として学生達からレポートと、紙粘土で踏み絵を作るよう言います。
看護英語の授業では、学生達が病院を深く理解するために紙粘土で自分の病院をつくります。
学生達は本当に美しいものを造ります。
その体験から考えて、神様は、私達が毎年待降節を通してもっと美しく、もっと愛にあふれた人になるために希望を持つ時期を用意してくれました。
B年の中で待降節は短いです。
3週間しかありません。
3週間後、赤ちゃんイエス様はもう一度私達の心の中に生まれます。
赤ちゃんイエス様が素敵な心を迎えるために神様の恵みと協力しましょう。
周りの人々への愛のわざ、ミサに参加することを通して、告解秘跡を通して、家と教会を飾ることを通して、今よりも明るく楽しい心、雰囲気を作ります。
どうぞ皆さん、赤ちゃんイエス様がクリスマスの日に生まれることを待ちながら、喜びいっぱいの心で準備しましょう。
私達の喜びは社会のための光です。
おいしいもの、クリスマスカード、プレゼントなどのしるしを通して周りの人々の心にも美しさを与えます。
特に今年は世界中でいろいろと暗いニュースがありました。
どうぞみなさん、私達の信仰、希望、愛を通して、暗い雰囲気を乗り越えましょう。
毎日祈りながら、お互いを愛しながら、神様の救いを表しましょう。
マラナタ(イエス様早く来てください)。